私のコアにある「つくること」を人生と共に振り返ってみた②
つくることが好きな私の、つくってきた記憶を辿ってみます。
(ただただ、思い出す限りを書きなぐった記録です。
長いですので、お時間が許す方は読んでくださるとうれしいです)
前回の記事はこちらです。
自分の心と向き合っていた大学一年生
大学生になって日々課題に取り組む中で、自身の芸術性のなさを痛感させられます。
美術科に入ると、美術がうまい人はたくさんで、その中で私はうまくない人でした。
それでも、一年生の時は、美術イベントのアシスタントをしたり、日々の課題も積極的に取り組んでいました。
この頃、私の表現するものはこんなものでした。
石工の授業で四角い石を目の前にした私は、丸い球体の半分が砕け、反対からもう一つの小さい球体が生まれる作品を制作しました。
タイトルは「破壊と再生」です。これ、まだ実家にあります。
また、その頃身近にあるものをペンキで真っ白に塗る作業に没頭していました。
缶とか、お気に入りだったミュールとか。
私にとって白は氷河期みたいなイメージで、まっさらな状態へ返すような意味合いがありました。
白い布で身近にあるものを制作したりもしました。
抱えるほどの大きな手を白い布でつくり、綿をつめ、その真ん中に小さな手を貼り付けました。
「手と手を合わせて」というタイトルだったように記憶しています。
学祭で展示しました。
黒い線をウネウネとつなげて画面いっぱいに描く作業もよくしていました。
心の中のモヤモヤしていたものを、なんとか目に見えるものにしたいともがいていたように思います。
こうして思い返してみると、心の内をなんとか表現しようと自分なりに試行錯誤している姿が見えてきます。
虚無感のようなものと向き合っていたんでしょうか。
逃げ腰の大学生活での楽しかった記憶と学び
大学生活が進むにつれて、私はだんだんと大学に行かなくなりました。
教授たちから作品についていろいろと評される場が苦手だったし、周りと自分を比べて嫌になる気持ちも感じたくなかったし。
まぁ、ようは逃げていたんですが。
なんとか(きちんと取り組んだわけでもない)課題を提出しながら、留年せずに学年を進めます。
私の中の大学の楽しかった思い出は、三年生の時の美術研修旅行です。
油画専攻の学生は、イタリアとフランスの美術を観て廻る大がかりな旅行でした。
大学にはあまり言っていなかった私ですが、友人たちはとてもフレンドリーで親切でした。
2週間という長い間、友人や教授たちと一緒に過ごし、壁画や絵画やたくさんの芸術作品に触れ、夜はワインで飲み明かし。
そうゆうの少し苦手だと思っていましたが、こうして思い返してみると楽しかった記憶です。
四年生になり、いよいよ卒業制作、という時期に教授から言われます。
「一年生の時はもっとやってたよね」
この言葉で、なんかヤバイなぁ、と思ったのか。
やっぱり悔しかったのか。
どちらにしても、卒業制作はちゃんと向き合うことにしました。
大好きだった結婚式場のアルバイトも制御して、毎日100号のキャンバスと重たいイーゼル・画材を担いで制作現場へ繰り出しました。
風の強い日は、キャンバスが頭の上に降ってくる日もありました。
今ではいい思い出です。
私は水に映る光を描いていたので、季節の変化と共に水に映る風景も変わり、何度も消して描いての繰り返し。
教授に、完成が見えない、どうしたらいいのか、と疑問をぶつけたら
「そりゃぁ、あなたは光を描こうとしているからね」
と言われて終わり。
結局、納得できるところまで描き切れずに諦めてしまったのですが、私なりに長い間作品に向き合えた貴重な時間でした。
「ゆらぐ01」というタイトルの作品です。
今見返してみると、もっと技術があれば自分の表現したかったものにより近づいたのかな、と思う作品です。
そういう意味でも、手法や知識を勉強することは表現する上で大切なんだと実感させられます。
小さい頃からずっと絵画や芸術に触れてきた子と比べて、私には圧倒的に知識がなかったと今でも思うし、芸術的センスもないと思います。
学生時代に教授が言っていたことは、芸術と向き合う時間の少なかった私にはわからないことだらけでした。
「描けない」と教授に訴え、泣いたこともあります。
「あなたは泣き虫ね」と笑われました。
ただ、ここでの経験は私にたくさんのものをくれました。
普通の大学では触れることができない、木工、石工、フレスコ、テンペラ、デザイン、カメラ、日本画…。
様々な芸術に触れることができたし、その経験は今でも私の引き出しのひとつになっていると思います。
恵まれた環境だったのに、もっと制作を楽しめば良かったなと今では思います。
ただ、大学時代に出会ったことや物、友人や教授からもらったたくさんの言葉は、今でも私の根幹にあり、人生を支えていくれています。
つくることと離れて分かる、つくることが好きってこと
大学卒業後はいったん、つくるということから離れます。
全然別の仕事をしながらでも描いていけるかな、と思っていましたが、そんな時間の余裕も心の余裕もありませんでした。
唯一、描いた記憶は、友人の結婚式のウェルカムボードをつくったこと。
自分の経験が大切な人の晴れ舞台で活きるなんて、なんて幸せなんだ!と思った記憶があります。
勤めて3年を迎える頃、やっぱりつくる仕事をしよう、ここで挑戦しないと後悔する、という思いのもと、ブライダルの仕事を退職します。
ここで久々に絵筆を持ちます。
どりゃーっ!と思いつくままの色をかきなぐっただけの絵。
ここから、私の新しい挑戦が始まります。
地元の小さな町の印刷屋さんで、オンデマンドでの原稿作成や印刷の仕事を行いながら、ヒューマンアカデミーでWEBの勉強をします。
WEBの勉強は毎週すごく楽しくて。
同じ勉強をしにきていた受講生とも意気投合し、楽しく勉強をすすめました。
私は、新しいことを学ぶことが好きみたいです。
最後に、ひとつのWEBサイトをつくる課題を出されたのですが、私は当時勤めていた印刷屋さんのWEBサイトを制作しました。
働いて帰って、夜通し疲れて寝てしまうまで。
こうして何かに熱中すると物凄い集中力と根気を発揮できるのが、当時の私の強みではないかと思います。
(これも年齢と共に難しくなってきてはいます)
新しいことを学び挑戦し続けた制作会社時代
その後、就職できずに模索していた時期が半年ほどありますが、この時期にも、今につながる大切なものをもらいました。
実務未経験だった私は、たくさんの企業に応募しては落ちていました。
その中で、面接してくださった代表の方、担当者の方から、今でもデザインをする上で大切にしていることを教えてもらいます。
「1pxを大切にできないヤツにいいデザインはできない」
「余白を描け」
こうゆうことを意識せずにデザインをしている人はたくさん居るのかもしれないですが、私にとってはすごく大切で、いつもデザインをするときに立ち返るようにしています。
その後、地元に帰り、タイミングや幸運が重なりWEB制作会社へ入社します。
素人だった私は、もうがむしゃらに、先輩たちから技術や知識を盗むことに必死でした。
先輩から編集を頼まれPSDデータを渡されると、細かい部分まで解剖して、「なるほどなぁ~、こうやってこのボタンはつくっているのかぁ」なんて思っていました。
また、その日に教えてもらったことは、帰って清書用のノートに改めて書き留めるようにしていました。
こうして振り返ってみても、自分って結構努力型ですよね。笑
仕事をする中では、可能な限り新しいことに挑戦するように意識していました。
型にはまったものではなくつくったことがないデザインをしたり。
CSSやLESS、Wordpressを勉強する中でのPHPの学習、jQeryなど。
先輩方から吸収することも多く、新しいことに挑戦することを評価してもらえる環境でもありました。
評価されることは、嬉しいことです。
次もチャレンジしてみようという気持ちになれました。
制作部の和気あいあいとした雰囲気も居心地が良く好きでした。
忙しい中でも、面白いツールを見つけてはみんなでやってみたり、仲の良い営業さんの写真をコラージュして遊んだりしていました。
クリエイティブって遊び心も大切ですよね。
そんな居心地のいい会社だったのですが、経営とか上層部とかにいろいろと問題があり、現在の会社へ転職することになります。
求めたものでない仕事も理想へと近づくための糧になる
転職後は、オウンドメディアをイチから立ち上げる、という仕事に携わりました。
今まで、システムの人や制作の先輩などが居る守られた場所で、分からないことがあればいつでも聞ける環境で制作してきたので、正直一人でイチからつくれるのかと不安でいっぱいでした。
サーバーのこととか、ドメインのこととか、そもそもWordpressを設置することもシステムの人がいつもしてくれていたので、調べながらの作業にはなりましたが、WEBの世界はインターネットに答えを置いてくれている人がたくさんいます。
その人たちに助けられながら、無事にメディアをオープンすることが出来ました。
メディアを立ち上げてからは、企画をしたりアクセス解析をしたりSNSの運用をしたり。
SNS運用のために、初めて写真撮影にも挑戦しました。
今まで分業でしていたことを、すべて自分で調べてやる、ということは、大変だけれども大切なことでした。
メディアを運営していく中で、ライターさんを探して依頼しディレクションをしたり、ECを立ち上げてそこに商品を掲載するクリエイターさんにアプローチしたり商品ページをつくったり。
正直、自分が思っていた仕事とはだいぶ違う仕事が多くて。
ほんとは私は、WEBデザイン=つくる仕事がしたいのに。
「マーケティングとか人と話すことをもっとしていった方がいいよ」
と上司に言われる度に、
(それは私が決めることだよ!私の進む道を勝手に決めないで!)
と思っていました。
けれど、今になってみれば上司のアドバイスは適格で、つくるだけでは食べていけないと分かります。
その時、苦手なりにいろんな人とメールや電話でやり取りした経験が、今内にこもることなく外に出ていこうと思わせてくれています。
そもそも私は、イチから携わりたいと思っていたはず。
ブライダルの仕事を辞めて、初めてデザインの書籍を買った時、憧れたのはVIとかCIとか、そうゆうコアなところから携わっているデザイナーだったはず。
それが、私の想う「デザインする」ということだから。
あのまま、WEB制作会社に居て制作することだけをしていたら、昔憧れていたデザイナーにはなれないと思います。
目指すこともしなかったと思います。
だけど、いろいろあったけど、いろいろな経験を通して、今もう一度あの時憧れたデザイナーに近づこうとする気持ちを持てたことは、とても良かったです。
だらだらと、私の今までつくってきた記憶を思い出しながら綴ってみました。
正直、何が見えたのか分からないけれど、やっぱり私は「つくる」ことが好きなんです。
デザインをする時、完成した時、私の気持ちは高揚しているのではないかと思うんです。
振り返ってみて良かったのは、特に大学時代の制作物を思い出せたこと。
当時の制作物は自分の心の中がありありと現れているように思います。
誰に見せるワケでもない、自分とモチーフと制作物があるだけ。
だからこそ、取り繕ったりしていない自分自身が表現されているように思いました。
「手と手をあわせて」は今も私の心の中の真ん中にいる大切なことに繋がっているように思います。
「ぬくもり」「あたたかさ」「やわらかさ」「優しさ」
肌さわりの良いタオルに顔をうずめた時のような、ふんわりあたたかい気持ち。
人との心のつながりで生まれるこの感情を、私はとても大切にしているのではないか。
最近、そう思ってきました。
私のコアにある「つくること」を振り返ってみて。
小さな頃から思い出してみても変わらずそこにある、ワクワクする私の喜びでした。
長い思い出話を読んでくださり、ありがとうございます!
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