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「君たちはどう生きるか」


※この投稿は核心に触れない程度の映画のネタバレを若干含んでいます。読む際はお気をつけください。

ついこの前、やっと観たかった映画を見にいくことができた。
スタジオジブリの最新作であり宮崎監督が約7年をかけて制作した集大成とも言える作品。衝撃的だったのはそのタイトル。
「君たちはどう生きるか」
青サギの顔だけが映ったそのポスターと共に上映されることが公開数日前になってしれっと発表され、突如として現れたその映画に各地の映画館が当日から賑わっていた。

SNSやラジオで聞いていると、都内では終了時刻に終電のないレイトショーだとしても観に行っていた方も多かったようだ。
そこまでさせるスタジオジブリというブランド。ジブリ作品が大好きな私にとっても公開当初から大変気になっていたものの、なかなか行けずにいた。

というのも、他のスケジュールで単純に忙しかったこともあるし、行こうと思っても空いている席がない状態がほとんどで、その上、時が経っていくほど「意味がわからなかった」というレビューをあちこちで目にすることが増えたのもある。果たしてこれは今すぐ時間を作ってまで観にいくべきかと頭を悩ませていたのだった。

だが1週間ほど前、予定もひと段落して世間的にもブームが落ち着いたタイミングで、意を決して観に行こうと思える状況になったので、ネタバレも何も見ず鑑賞することに決めた。

始まる前はどんなことが起こるんだろう、ととても身構えながら小学校1年生ぶりの映画館でのジブリを堪能したが、結論から言えば思っていた以上にストーリーとしても楽しむことができた。

と言うのも、観る前は色んな人が「あまり意味がわからなかった」と言っているのを聞きすぎて、もっと抽象的な内容の映像が断片的にいくつか繋がっているような、文脈のない前衛的な作品なのかと思っていたのだが、全くそうではなかったからだ。

ただ、そう思えたのは一つ理由がある。かつてある本を読んだことがあったから。
それこそが、タイトルとなる「君たちはどう生きるか」だった。

私はこのタイトルとなった本を5年前、大学4年生の時に読んだ。
忘れもしない。ゼミ旅行で北海道に行った時に、なぜイライラしていたのかは忘れてしまったのだが帰る前に少し不機嫌になってしまったタイミングがあって、帰りの飛行機でちょっと気持ちを落ち着かせようと空港で待ち時間の間に本屋に立ち寄った際、手に取ったのがこの本だった。

何気なく開いたその本に私は衝撃を受けて、帰りの飛行機の中であっという間に読み終えていた。
コペル君というニックネームの15歳の少年が登場するのだが、彼が慕っているおじさんが日々あった出来事に対して彼に教えを説いてくれる中で、コペル君の考え方も変わっていくという内容だ。
「人間力」とは、何なのだろう。それを思わずにはいられない内容で、今もずっと心に刺さっている本だから時折読み返している。
漫画化もされて一時期書店にたくさん並んでいたのも見たことがある。

で、本題に戻るわけなのだが、今回のジブリ作品とこの本は同じ名前ではあるものの、原作のまま描かれている訳ではない。
だからコペル君もおじさんも登場することはない。それとこれとは全くの別物だ。

ただ、映画の方に主人公として登場する眞人という少年が、ある時お屋敷で机の本を落とした時、亡き母が大きくなった自分へと残した一冊の本を見つけるシーンがある。
それがこの「君たちはどう生きるか」なのだ。

映画が公開されてしばらくこの映画の感想を色んな媒体で見聞きしたが、それをもって自分がこの映画を観た時感じたことがある。

「君たちはどう生きるか」というタイトルを見た時に、原作が映画化されると思って見に行った人や、宮崎監督が我々に向けて何かメッセージを提示してくるような内容の物語なんだと思って見に行った人がほとんどだったのではないかと。

でも私は映画を見終わった時このどちらでもなく、「ああ、この映画はきっと、『君たちはどう生きるか』を読んだ眞人がどう生きていくか」という、単純にそれだけのことが描かれていたんじゃないかなという解釈をした。

思い返せばこれまでのジブリ作品は「となりのトトロ」、「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」のように、自分とは切り離された人や事象、物がタイトルだったから自分とは関係のない別のものを観る前提で見ることができていたのだろうと思う。

それなのに告知もなしにこんなど直球な台詞がタイトルの映画で、前情報もなく観てしまったらそりゃ困惑してもおかしくない。

何をこの映画から学べるのかと思って観に行った人もいると思うが、別に無理に読み取る必要なんてそもそもなかったんだと思う。先入観が先にあってそういう姿勢だけで観てしまったら、見えたはずのものも見えなくなる。木を見て森を見ず、という感じだろうか。

たとえばもしこの映画が、「青サギおじさん」とか「眞人の不思議な旅」というタイトルだったならどうだろう。皆さんそんな身構えずいつものジブリ作品として気楽に観られたのかもしれない。
でもそれだけじゃ説明しきれなかった。やっぱりこの映画にとってあの本が出てきたことが境目となっていたから、そのままタイトルになったんじゃないのかな・・・と映画が終わってからぐるぐる考えていた。

ただ「君たちはどう生きるか」の原作の本が登場するシーンは映画の中でもほんの数分だ。
私はこの映画を観た時にこの本の存在を知っていたから、本編で直接的に本の中身には触れられることはなかったけれど、彼の心情がその辺りを境目として変化していったのを前後で感じたのだろうと思う。

亡き母が大きくなった自分のために残したその本。それを漁るように読んで涙さえ流していた眞人のシーンがほんの数分にも満たない時間流れるのだが、それを見たときに「お母さんは彼にこんな人間になってほしいと願っているのが、本人にも伝わっているんだろうな」と感じた。

普段私は保育士をしている事もあり、眞人の気持ちを考えながら見ていたのも、一つ、要因として大きいのかもしれない。

普段から子どもたちがもっと人の気持ちに気づくにはどうすればいいかなと思いながら、日々の会話の中で一緒に考えたりするのだが、何か心に響いたことがあるとすごく繊細に子どもの言葉や行動って少しずつ変わっていくのだ。

ただそれは本当に微々たる変化なので毎日一緒にいないと気づかない。それゆえに毎日、この子はこんな言葉や行動をとるという事を日頃から逐一把握するようにしている。

だからこそ眞人の変化していく様にも気づいた。
本を読む場面までは、良い暮らしをしていて礼儀はそれなりにあるけれど、周りの人に対する言動が冷たい部分や、自身の行動も粗野な部分があった眞人。
父も自分を愛してくれてはいるけれど、虐める人を痛めつけようだとか、お金で解決しようとしたり、何かにつけ眞人の本当の胸の内をそもそも聞こうとしていないシーンが多くて、冒頭から眞人はきっと寂しいんだろうな、と思ったり。

ですが青サギに導かれるままに向こうの世界に行ってから変わっていった姿を通して、彼はどんな選択を取っていくのかという視点で最終的には観ていたように思う。

それを知った上で映画の内容を振り返ると、確かに眞人の行動の変化から私たちが学ぶところもあるけれど、そもそも別に教訓めいた映画を作ろうと思って作ったものではないんだろうというのが私の感想だ。

あまりにも大きすぎる意義を持ったタイトルや、集大成という世間のタグだとか、告知なしで突如として公開されたこと、そういった色んな要因が観る側に大きく期待を持たせ過ぎてしまったが故に観る側も困惑する人が多くなってしまったのかもしれない。

何も情報がない状態で、どんな説教じみた内容の物語を食らうんだろうとある程度内容を想像して観に行っていなら尚更拍子抜けさせられただろう。

だからこそそういった情報を抜きにして、ただ真っ新な状態で久々のジブリの世界観に浸ろうと思って観に行った私にとっては、いつもと変わらない素敵な作品に思えたのだ。

少年のようにワクワクするあの感覚を久しぶりに味わって脳が喜んでいるのがわかった。
どうなるかわからないあの緊迫感も、魔法のような色彩にも、美味しそうな料理にも、個性豊かなキャラクターたちにも魅了された。

だからこれから観る方がいるのであれば、何も難しいことを考えずいつものジブリ作品だと思って観に行けばいいと私は思う。
かろうじてもし何か意識するのであれば
・眞人の言動や行動がどう変化していくか
・原作を事前に読んでおく

これを気にしておくだけで、もっと他のところにも目が行って観やすさも楽しさも違うんじゃないかなと。

とにかく久しぶりに心がときめいた時間になった。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。