繊細な妻と生きるということ
世の中は多数派によって作られる。
それは当然といえば当然だけど、時々不都合が起こることがあるのは事実。
例えばHSPかそうじゃないかという分け方なら、僕は多数派で妻は少数派ということになってしまうのも事実。
それによって時々問題が起きてしまうのもまた事実。
でもそんな問題も、意外と悪くないですよ。
鈍感な僕の人生ではあり得ないはずだった視点を妻から教えられるってのは、なんだか人生を2倍歩んでる気分。
今日はそんなお話。
人の心を理解するのは難しい
我が家は夫婦共働きです。
お互い毎日疲れてクタクタになって帰るのは同じだし、きっと世の中そんな人の方が多数派。
けど僕は家に帰ってもしんどいのは体だけ。
まぁ時には精神的ダメージを負って帰ることもあるけれど、毎日ではない。
帰って料理や洗濯もやろうと思えばできる(めんどくさいけど)。
一方、妻は様子が違います。
家に帰ったらグッタリでしばらく動けない。
黙ってご飯を食べ終え、次の目標は早く寝ること。
僕のために何とか頑張って片付けをしてくれたり掃除をしてくれたりする日も多いけど、動きたくても動けない体に鞭打ってなんとか動いてくれてるんだろうなって感じです。
根が優しい人なので尚更痛々しいです。
だから妻の負担を減らそうと僕が代わりに洗濯や料理をすると、それはそれでまた別の問題が起きたりするんです。
僕が家事をやると、「仕事も家事も夫にやらせて、私は何もできない」って気持ちになるようです。
良かれとも思ってやったことで、結果的に妻が自分を責めてしまう。
世の中では8時間労働はごくごく当たり前のことなのに、妻と僕では結果が違う。
それもまた「自分は普通のことができない」って気持ちになっちゃうのかなあ、と想像します。
こうなるともうどうしたらいいか分からなくなります。
僕は妻が悪いんじゃないと説明しても、やっぱり妻の自責の念は消えません。
きっと妻が求めてるのは理屈じゃないんですよね。
気持ちなんです。
でも人の気持ちに寄り添う、なんて簡単に口では言えるけど、実際は人の気持ちなんてその人にしか分からない。
とても難しいことです。
僕はとてもとても鈍感なので、妻ほど人の感情の機微を捉えられません。
妻と付き合うまでは「機械のような人」と言われたこともあるくらい人の心に鈍感でした。
けど妻のおかげで
「なぜこんなに辛そうなんだろう」
「どうしたら楽になるんだろう」
「妻はどんな時が幸せなんだろう」
とか色々考えるようになりました。
考えた結果正解のことも不正解のこともあるけど、それはあまり重要じゃない気がします。
僕にとって、人の気持ちを考えること自体が、1つの成長なんだと思います。
結果的に妻はより心理的負担がかからない会社へ転職しちゃいました。
そのおかげか、妻は昔よりもたくさん動けるようになりました。
家に帰ったらお味噌汁を作って魚を焼いて、大好きな納豆とご飯を食べる。
ありふれた普通の夕飯を普通に食べる。
妻がそんな幸せを感じられることが増えた気がします。
雨の後は上天気
妻は繊細な人なので、日常のちょっとした刺激を敏感に感じとります。
だから毎日しんどい思いで帰ってきて、料理もできず、そのせいで自分を責め、今でも僕はどうしたらいいのか分からない。
とはいえその出来事のおかげで僕は成長させてもらえたと思うし、妻含めて色んな人に(きっといい意味で)「変わった」と言われます。
僕たちは真逆の性格の夫婦なので時にはトラブルや衝突が起こるけど、それも含めて良かったなと思えます。
まるで真逆の2つの人生を歩んでるような、そんな感覚。
だから世の中の繊細なパートナーを持つ鈍感さん、または鈍感なパートナーを持つ繊細さん、もしかしたら皆さんはとても貴重な経験をしてるかもしれません。
少しでも双方向に理解し合えたらいいなぁと思います。
1回目の投稿で駄文乱文失礼しました。
なんか自分語りばかりで取り止めのない文章になった気がします。。
次はもっと深掘りして、妻がHSPだと分かった時のことを書こうかなぁ。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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