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~第87回 ~「地名の話」

氷川神社の「氷川」の名称の由来の一つとして、出雲国簸川(現在の島根県、斐伊川)という説があります。
この簸川の上流は主祭神である須佐之男命(スサノオノミコト)の「八岐大蛇退治」の舞台として伝えられておりますが、この地に着く前に足を運んだ場所があります。

その記述があるのは『日本書紀』第八段第四の一書。
ここに須佐之男命(スサノオノミコト)が高天原を追放された後、新羅国に曽尸茂梨(ソシモリ)に降り、そこから船で東を目指して旅立ち、出雲の簸川に辿りついた、とあります。
その後、八岐大蛇を退治するのです。

この新羅のくだりを今も大切に伝える地域があります。
山口県と島根県の県境に近い山口県萩市の「須佐(旧・須佐町)」です。
須佐という地名は地元ではスサノオの神話に因むものとして知られております。
現地では「須佐之男命が出雲の国から朝鮮半島に渡る際、神山(高山)の峰に立って航路を定めた」という神話に因んで、須佐と名づけられたと言われております。
そして、萩市須佐にある萩市須佐歴史民俗資料館「みこと館」も、須佐の地名の由来である須佐之男命に因んで付けられているとのことです。

八岐大蛇退治は現在でも有名な神話の一つだと思いますが、新羅国の逸話は『古事記』には記載が無いためか、あまり知られておりません。
『古事記』『日本書紀』には須佐之男命の様々な逸話が記されております。
そしてそれらが地域でも伝承され、地名ともなり、地域のアイデンティティにもなっていることもあります。
大宮の地のみならず、須佐之男命が地域と共にあることを今に伝えているのです。

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〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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