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~第92回 ~「白鳥とヤマトタケルノミコトの話」

本年、氷川神社裏山にある大宮公園のボート池に一羽の白鳥が滞在中です。

日本神話で白鳥と言えば、ヤマトタケルノミコト(日本武尊・倭建命)が有名です。
ヤマトタケルノミコトは第12代景行天皇の皇子であり、第14代仲哀天皇の父にあたります。
大和朝廷全国統一のために命令を受け、西方(熊襲)と東方(東国)に遠征し、勝利を収めますが、帰途に伊勢の能褒野で亡くなります。
その際、ヤマトタケルは白鳥に姿を変え、大和に向かって飛び立ったと日本神話は伝えております。

日本書紀によると、ヤマトタケルノミコトは東国征討の際、武蔵国(現在の東京都や埼玉県)や上野国(群馬県)等に立ち寄ったとあります。
また、武蔵一宮氷川神社には、ヤマトタケルノミコトが当地に足をとめて祈願されたと、伝わっております。
この遠征の際、ヤマトタケルノミコトは妻の弟橘比売(オトタチバナヒメ)を思い出し、「吾妻はや」(わが妻よ……)と三度嘆いた逸話から、東国はアヅマ(東・吾妻)と呼ばれるようになりました。
ヤマトタケルノミコトが「あずま」の名付け親とも言えます。

地名といえば、もう一つ、ヤマトタケルノミコトに因む地名があります。
それが「足立」です。
足立の由来としては、ヤマトタケルノミコトの足の負傷が治り、立てるようになった伝説のほか、葦(アシ)が立つ(葦立)からアダチになったという説もあります。
現在、「足立」というと東京都足立区を思い出す方が多いかと思いますが、足立の名は7世紀に武蔵国足立郡にみられ、当時の武蔵国足立郡は現在の東京都足立区から埼玉県鴻巣市までの細長く広大な地域でした。
そう、古くはこの地は「足立」だったのです。

実際、氷川神社は古くは武蔵國足立郡鎮座となっています。
足立の大部分は見沼地区と重なり、見沼は神沼、つまり氷川の大神に守られた場所です。
池に浮かぶ白鳥を見ながら、古代日本史の英雄・ヤマトタケルノミコトを思い出さずにはいられませんでした。

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〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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