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~第33回~「武蔵家刀自の話」

今回は古代の朝廷で活躍した氷川神社に縁がある女性の御話です。

奈良時代から平安時代にかけて、地方豪族の娘が朝廷の女官「采女」として仕えることがありました。

采女とは天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの庶事を専門に行う女性です。

その采女として、8世紀成立の国史『続日本紀』に武蔵国出身の女性が登場します。

彼女の名は「武蔵家刀自(むさしのいえとじ)」。

奈良時代後期に実在した女性で、西角井家の系図には武蔵不破麻呂の娘とあります。

武蔵不破麻呂は『続日本紀』に「武蔵国足立郡の人外従五位下丈部直不破麻呂等六人に姓を武蔵宿禰(むさしのすくね)と賜う」

「外従五位下武蔵宿禰不破麻呂を武蔵国国造となす」などの記載があり、氷川神社の神官・角井家の祖先として西角井家の系図に記される人物。

平安時代に菅原孝標女が記した『更級日記』に出てくる「竹芝伝説」のモデルとも言われます。

さておき、この系図によれば武蔵家刀自も氷川神社に関係ある女性と言えます。

武蔵家刀自は称徳天皇の御代である神護景雲元年(768年)に、不破麻呂らとともに武蔵宿禰の氏姓を父親と共に賜ったほか、桓武天皇の御代である延暦6年(787年)に「武蔵国足立郡采女掌侍兼典掃従四位武蔵宿祢家刀自卒」とあり、この年に亡くなったようです。

実は「従四位」というのは、父親より上の位です。

掌侍と典掃の2つの職につき、内裏内部をまとめる立場にいたことも記されていますので、今風に言えばキャリアウーマンの先駆けと言えるのではないでしょうか。

氷川神社と縁がある女性が古代の朝廷で活躍していた事実はあまり知られていないかもしれませんが、采女としてかなりの官位についた彼女が古代の朝廷で活躍していた姿を想像したくなりますね。

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〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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