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私の一人暮らしの家事暮らしとは、自己奉仕と周りへの気遣い


随分と前、友人たちとランチに出かけた時のこと、

「会社には毎日お弁当持って行っているし、ご飯は基本自炊だよ」

と話したら、

「すごいね、えらいよねー」

と素直に感心された。

「家族じゃなくて、自分だけだったら、カップ麺とか手を抜くもんねえ。(自分一人のために)そうやっているのって偉いよ」

いやー、ご家族の家事一切の面倒みているあなたたちの方がエライ!すごい!と心の中で感心しておりました。


時は流れて幾数年。
相変わらず、お弁当作ってご飯は自炊で(たまに袋めん、ごはんのおかずにカップ麺が混じる)、掃除も洗濯も何とかやってはいるけれど。

「えらい」ってほどのことじゃーないんだけれどものねと思う。
同時に「家事はできて当たり前、やらないおよび手抜きはNG」みたいなものには、世界の中心でそれは違うと叫びたい。

昨今「家事」「暮らし」というキーワードがネットには溢れかえっていますが、「一人暮らしの私にとっての暮らしと家事の意義」は、2点!重要ポイントがございます。

■その1:純粋に自己奉仕活動

家族のために
伴侶のために
子どものために
友人や親せきのために

家庭や家族構成によって、家事によって生活を支えられる人・支える人は、千差万別百花繚乱十人十色。
少なくとも、二人以上で暮らしている場合においては。

が。
「一人暮らし」の場合に限って言えば、家事=自分の為=支えるのも自分、支えられるのも自分。
ほぼほぼ「100%自分のためのもの」であるわけです。

家事と言う労力(炊事洗濯掃除)を提供するのも、自分。
家事の恩恵(手作りご飯、洗濯された服、ほこりっぽくない部屋)を受けるのも、自分。

世の中のあらゆる仕事や人間関係、その他諸々のおつきあいにおいても、本当にまれで珍しい、究極の
「自分だけで完結する、自分のための労力提供」
なわけです。

見栄とか義務とか世間的にどうだとか関係なく、ひたすらに自分のためだけに尽くす。
私にとっては、ゆるぎない、自己奉仕活動です。

■その2:周りへの迷惑を、最小限におさえること

暴飲暴食、不衛生な部屋や水回りや衣服が日常と化したら、まず間違いなく、身体と心をやられましょう。
それで体調崩したら、どうしたって周りの方々に手助けしてもらわなきゃならない。

無論、助け合うのはいいことです。
でも、人間、別に救急車で運ばれたりするようなトラブルではなくても、いつも誰かのお世話になっています。

スーパーで物が買えるのも、夜道を一人で歩けるのも、電車通勤できるのも、お米が食べられるのも、倒れそうな暑さの自宅でエアコンが使えるのも、それを支える多くの方々がいるからです。

「ただ生きているだけで、必ず誰かのお世話になって生きている」
人間とはそういう生き物です。

つまり
「ただでさえいつも誰かのお世話になっているので、更にお世話をかけないよーに」
というのを心がけているわけです。

「仕方ないじゃない、迷惑かけずに生きていけないんだから」
と開き直るのではなく、
「自分が気を付ければ、発生しないであろう迷惑は発生させない」

という、一人暮らしなりの最低限の気遣いなのですよ。
具体的に言えば、

・大食いすればお腹こわすなら、大食いしない。
・ハウスダストのアレルギーがあるなら、掃除をこまめにする。
・体調がよくないなら、無理な残業しない。

などなど。
気ままな一人暮らしに見えても、定時で帰ること多いなあとか思われていたとしても!
一人暮らしの礼儀として、自己管理しているのです。

■楽しくなくても、丁寧でなくても、完璧とかありえないけれど


家事が楽しいと思ったことは、ないですね。
きれいになったお風呂はすがすがしいし、酢醤油で味付けた豚小間肉を味見するのはおいしいし、ボロ布で拭いた窓がきれいになるのは充実感ありますよ。

でも、やっている最中は面倒くさいし、やらなくてもきれいになるなら、やらないですよ。
もう二十年近くやっていますが、時短もちゃんとできているのかどうかもね。

昨今流行りの楽しいも丁寧も目指すつもりもないし、雑誌にのるような美しい部屋とか多分出来ないだろうけれど。

自分の居心地の良さと、周りへのご迷惑発生を控えることだけを念頭に。
たまにやってくる「やる気スイッチ」にのっかりながら。
それ以外はしょーがない面倒とか思いながらも、手抜きしながらゆるゆるっと気楽にやっていきます。

何より、自分が暮らしやすように。自己満足、これが一番!

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