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私が観た壁の中の妖精


観劇の趣味があるわけでも無いのでとても恐れ多いのだけど…何処かに感想を残しておきたくて感想文を書いておきます


色々間違いがあったらごめんなさい

東京劇場シアターウエスト 
主演は春風ひとみさん
9年ぶりの再演
この作品を何度も観ておられる方が絶対に観ておくべきだと語るその熱意に触れチケットをお願いしたと言うわけです

こういう時に勘がいい夫が「俺も行く」「これ行くやつでしょ」と。誘って無いのだが…結局二枚お願いした。

「壁の中の妖精」はスペインの内戦で敗北した共和派の政治活動家マノーロの人生を妻フリアーナの視点、娘マリア視点で語って行く物語、女性一人が立つ舞台なのに観終わった後には強く政治活動家マノーロが印象に残る…と言った感じです。

劇中に「12月の物語」が出てくる為、23役の演じ分けも見所になっている。
計算されたように小物や仕草、姿勢、声色、表情、動作、音楽やダンスを挟み人物が入れ替わっていく…でもなんの違和感も感じずスムーズに観ているいる私達に人物の入れ替わりがわかる、声色が変わる前にもう男性になった、子供になった、母親に戻ったと分かる、舞台に1人と言うことが気にならなくなっていた。

いつまでも記憶に残りそうな「マノーロの臨終の場面」ゆっくりと両手が下がるその時間に心臓の音が静かに止まった、人生の幕を閉じる瞬間を全員が息を呑んで感じていたと思う…両腕が時間をコントロールしてるようで、指揮者のよう…あの瞬間観客は同じタイミングで息を吸って吐いたと思う程静か
その手が膝に置かれた瞬間マノーロの人生は終わって、マリアが語り出す
なんの違和感も無く、家族で父を看取り人生を閉じるまで寄り添った普通の家族の姿が見えた(結局ひとりであることは一切気になってない…という)

「行きているってこんなに素晴らしい」フリアーナの劇中の主題歌で夫婦の再会と愛情、覚悟を決めて夫を壁の中に隠し、治安警察からマノーロを守る暮らしを決意する時にも歌われ、大赦が降りて30年ぶりに街に出たマノーロが初めて見るスペインの舗装路を歩く一歩一歩に複雑になるその時にも歌われる、同じ歌で意味が異なる…フリアーナの感情を観客も体感するのに音楽はこんな効果的かと何度も思い、ミュージカルである必要性を体感した

「ワルシャワ労働歌」娘マリアが壁の中の妖精(父親)と一緒に歌い、戦友がくるとマノーロも歌う活動家の歌なのだがマリアは子供を寝かしつける時にまで歌い繋いでいくと言った劇中では父と娘の思い出の歌でもある
マリアは子供の頃から遊んでいた妖精が父親だと知り母を支えながら個性と知性を持った女性に成長していく

マリアが成長した姿は本格的なフラメンコで表現される、これがもう鳥肌で
立ち姿は20歳くらい、還暦を迎えた女性にはどの角度から見ても見えない
両親の愛情を受け、教養を身につけたマリアの華のある事ったらない

夫匿いながら子育てをし、夫の商才を自らが活かして町では成功者となり…成長した娘と三人で戦後まで生き抜いた家族の繋がりとか、戦争さえなければ誰もが願った「産まれた土地を大切にして愛してそこで育って、生きていく」って言う大切な道徳、価値観が変化していく恐怖や特殊な環境の中でも娘にブレずに大切なことを伝えていく「12月の妖精」の話によってわかりやすく自分にも浸透していった

しばしば、家族の危機が訪れる
父が、母が、時には娘が助ける場面がある
時には人の手を借りて危機を乗り越える(それも娘婿となる)
この家庭での支え合いが治安警察から逃れる力を産んでより強くなって行く
家族間で「迷惑をかけない」とか「面倒をかけたく無い」と言った現在にありがちな思想が全く劇中には無く「支え合うのが当たり前」と言った前提で話は進んでいく

エスパルトの草を中庭で干している彼らの家の匂いを感じながら劇場を出た
もしこの後、上演されることがあるなら私も人におすすめしたいと思った

ギター、ピアノ、歌、ダンスのライブである醍醐味も堪能出来、時代を感じて、家族のあり方なんかをそれぞれに感じられると思う

「俺も観ることにしてよかったわ〜」「本当に良いものを観た後は言葉じゃ表現できないから無口になるね」と良いことを言っている
が、言わせてもらえば夫は普段から無口だ


ハードな運動してるのに痩せない夫
何故か今日も大盛りだ、ダイエットはどうしたんだろう
思いっきり迷惑と面倒をかけても、余力はありそうだ。

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