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発達障害と診断されてすぐに障害受容できた理由

主治医から「一ノ木さんはAD/HDですね」と言われた時に僕は「そうですか」と言いつつ(やっぱりね。そう思っていたよ。今日から僕はAD/HDの一ノ木として生きる)と思っていたのです。

いつかの記事にも書きましたが、AD/HDと診断された後に自殺を図った方がいて、その時に、まだ発達障害というものは診断された人に絶望を与える世の中なのだと思いました。

つまり発達障害というものが、世の中的にはマイナスのイメージだということではないかと思うのです。

そして、なぜ発達障害にマイナスのイメージがついてしまうのか。
それを語るとなるときっと一冊の本が出来上がってしまうかもしれないし、その課題を解決するような研究ができれば、博士論文一冊書けてしまうのではないでしょうか。

博論のデザインとして、発達障害が変遷をレビュー論文としてまとめ課題を炙り出し、次に発達障害がある人たちへのインタビュー調査をし、それを元に質問紙の作成、そしてその質問紙を使った全国規模の調査、浮かび上がる、発達障害を悪いイメージにしている原因、そして、発達障害が良いイメージになるための未来が垣間見れる、そんな論文が書けたら最高だな。

本題に戻ります。

僕が発達障害だと診断されてすぐに受け入れることができたのは、これまでの経験にあるかと思います。

僕は大学卒業後、教員として特別支援学校や発達障害があるお子さんたちの指導、大学院でも大学内の相談室で多くの発達障害があるお子さんたちの支援、指導をしてきました。
そのようなお子さんたちを見ている中で、僕も同じ、苦手さ、悩み、感覚、生きづらさがあるなと感じることが多くありました。

もしかしたら、僕も発達障害なんじゃないか。

そんな風に思うようになりました。

ただ、診断されるまでは、自分が発達障害ということは100%は信じていませんでした。60%くらいは自分は発達障害かなと思っていましたが。

僕はたまたま社会人になってから発達障害というものを身近に感じにながら生活をしていたから、僕自身の障害受容がスムーズにいったのだと思います。

ということは、発達障害というものを多くの方の身近に感じてもらえれば、当事者の障害受容がスムーズにいったり、当事者以外の人たちも発達障害に対して変なバイアスを持つことなく、理解が深まり、社会的な障害がなくなるのではないかと思います。

発達障害という特性は自分の中にありますが、障害は社会が作りだしたものだと考えています。

実際、僕は39歳でAD/HDと診断され、それまでは、少しだけ生きづらさを感じつつも普通に生きてきたつもりです。しかし、39歳の時に鬱病の診断とともにAD/HDと診断されました。言い換えれば、それまでは環境に恵まれていた。だから発達障害ではなく、ちょっと変な人くらいの社会的な存在で生きてこれたのだと思います。

いきつくところは調和の取れた共存世界なのでしょう。きっと。

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