海の記憶


私は、間近で海を見たことがあまりない。多分、両手の指で足りるくらい。しかもそのすべてが旅先での出来事だった。当たり前だ、私が生まれたのは北海道の内陸部。もっとも近い海までは一時間弱だが、我が家には海水浴とか海釣りの文化はなかった。

私にとって海は異郷の象徴だ。





最初に海を見たのは小学校五年生の頃。親戚の葬式に向かう最中の車中。見たのは曇り空の下の太平洋だった。

鈍色の水がどこまでも広がっている風景を、両脇を眠りこけている従兄弟たちにはさまれながら、ずっと見ていた。不思議な光景を網膜に焼きつけようとした。

葬式が終わった帰りに、海辺のパーキングエリアに立ち寄った。砂浜まで下りていけるところで、私は従兄弟と走っていった。

潮の匂い、カモメの声、寄せては返す波。心が躍った。すごい、と思った。引いていく波を追いかけて、戻ってきた波に足元を現れた。靴下とスニーカーがぐしゃぐしゃに濡れた。だから言ったでしょ、と母にはあきれられたけど、靴の中のぐちょぐちょした感触さえ面白く、従兄弟たちと笑いながら車中で裸足になった。

二度目は小学校の修学旅行だ。小樽の街を友達と歩きながら、鼻に慣れない潮風の匂いを何度も吸いこんだ。ああ、私いま海辺の町にいるんだなぁ。魔女の宅急便の街みたいだなぁとか考えていた。地元の食堂みたいなところで四人、ちんまりと固まって塩ラーメンを食べた。

三度目は中学校の修学旅行。今度は函館にも行った。天気が良くて、函館山からの夜景がよく見えたのを覚えている。あの真っ暗いところが海なのかな、と寒さに震えながら考えていた。

四度目は大学生になってから。高校の修学旅行は内地に行ったけれど、間近で海を見る機会はなかった。今まで海を数度しか見たことがないと友達に零したらドン引きされた。それで「おたる水族館に行こう」という話になった。朝早くに家を出て、JRとバスを乗り継いでいった。巷で噂の「話をまったく聞かないペンギンショー」でお腹を抱えて大笑いして、海がすぐそこに見える岩の上で買ってきたパンを食べた。

五度目は大学二年生の夏休み。初めての一人旅で行った鎌倉だ。八月のお盆過ぎ、信じられないような暑さで、たった半日外にいただけなのに、日焼け止めもバッチリ塗っていたのに腕時計の跡がついた。本州やばいな、と思った。私はこの土地で生きていくのは無理だわ、と。

六度目は社会人になってすぐ。会社の旅行で函館に行った。片道六時間のバスの旅。二度目の函館は大いに盛り上がった。同室だった先輩が日本酒の飲み過ぎで翌日グロッキーになっていたことと、トイレでぐったりしている先輩におにぎりとお茶を差し入れたことが強烈に印象に残っている。

七度目は同じ年の秋、出張で訪れた和歌山。恋人の聖地と呼ばれているらしい岩を見た。夕暮れで、オレンジ色の光がやけにまぶしかったことを覚えている。

八度目は二回目の一人旅。行先は愛媛。愛媛市街から梅津寺まで行って、穏やかな瀬戸内の海を約一時間くらい眺めていた。あの時食べた大福は美味しかった。地元の子供たちが砂浜で遊んでいた。二月なのに暖かくて、北海道の春みたいな天気だった。

九度目は出張で、六月の沖縄に行った。天気は優れない日の方が多くて、スコールにも当たったけれど、なんとかエメラルドグリーンの海を見ることができた。ただ、ものすごく暑かった。今度行くなら真冬がいい。

十度目はまた出張で、前日入りして八景島シーパラダイスに行った。ひとりで。めちゃくちゃ楽しかった。どうやら自分には一人旅の才能が有るらしいと気づいた。水の青色が好きだ。

十一度目は今年の1月。広島に行った。厳島神社にも行ったし、尾道では岡山に住む友達と会って遊んで、おいしいレモンケーキを買った。あれは大好評だった。今度また機会があれば買いたい。

十二度目は、いつになるだろうか。このご時世だと結構先の話になりそうだ。社会人になってから、毎年冬に旅に出ていたのだけれど、おそらく今年度は無理だろう。お金をためて、入念な計画を練るための期間を得たと思えばいいか。

さて、次はどこに行こう。ルーツをたどるなら新潟か福島。個人的にいってみたいのは宮城か屋久島。

いつかのその日を考えながら、私は今日も仕事に出かける。

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