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牛乳が嫌いな兄と、鍵をかけ忘れる妹の話

私には兄が一人いる。

三歳年上の、7月7日七夕生まれ。生まれた時間は午後7時37分。おしい。

そんな兄は私とは真逆だ。

妹である私が三回に一回くらいは「あれ、玄関のカギ閉めてきたっけな?」と出かけてから思い至るようなうっかりさんなら、兄は必ず鍵を閉めてドアノブを回して確認する。なので家族で出かけるとき、私は兄より先に外に出る。そうすると鍵のかけ忘れがない。これぞ我が家流ライフハック。

そしてよく家のカギをなくしていた幼少期、その節に関しましてはお母さんホントごめん。

食べ物の好みもバラバラだ。兄、牛乳大嫌い。私、大好き。兄が持ち帰ってきた給食の牛乳はもれなく私が飲んだ。翌日の朝ごはんのときにミルメークを入れて愛飲していた。たまにその日の晩御飯のシチューとかグラタンに使われるときもあったけど。

そして兄はどちらかと言えば寡黙だ。喋り倒す私とはかなり毛色が違う。もっとも、私のおしゃべりが先天的なものかと言われたらちょっと議論の余地があるのだけれど。

ともあれ私は喋る。兄からのレスポンスがなくても一方的にコールし続ける。ここは今からライブハウスです。

「あらちょっとお兄様、靴下に穴が開いていらっしゃいますけどぉ? いい加減捨てたらいいんじゃないの、天然メッシュ加工だよ親指」
「兄ちゃん晩御飯○○でいい? 気分じゃない? いける? 大丈夫だってお母さん!」

一事が万事、こんな感じ。

文字に起こすと分かる。うるさいな自分。私が兄の立場なら「黙れ」って言いそう。いや言う。

だがしかし我が兄は基本的に菩薩なのでそんなことは言わない。かわりに返答もろくにない。無視してゲームしてるか本を読んでいるかテレビを見ている。そしてそこに「あっそのゲーム○○じゃん!今度新作出るんでしょ?買うの?」と果敢につっこんでいく妹。

アンバランスかつ凸凹。均衡がとれているのか甚だ疑問。

母曰く「あなたたちは足して二で割ったらちょうどいい」。

めっちゃわかる。



天使とイノシシ



幼少期の兄は、それはもう天使だった。

いつでもどこでもニコニコと愛嬌を振りまき地元唯一のデパートでは売り場の店員さんたちのアイドルになり、妹を抱っこひもで背負う母を見て「僕も!」と言って聞かずお気に入りのぬいぐるみを同じように抱っこひもで背負わせてもらって道行く見ず知らずのおばさんに「あらぁお母さんとおそろいなの!」と声をかけられ、二段ベッドの階段をひょいひょい上がっていく恐れ知らずの妹(2歳)に「〇〇ちゃんが死んじゃう!」と半泣きになる、そんな子供だった。

天使か?

心根の優しさが天界の住人なのだが?

本当に私の兄か?

最初にこれらのエピソードを聞いたとき、妹である私は本気でそう思った。

いやだって天使じゃん。

身内のひいき目とか抜きにしても天使じゃん。清らかじゃん。

そんな天使の兄のもと健やかに育ち、蹴った叩いた噛んだの喧嘩をふっかけてだいたい勝ってたくましく育った妹、私。そのガサツさはさながらイノシシ。

原材料、というかDNAはほぼほぼ同じなのに出来上がりに差がありすぎないか。

どうしてですか神様。

それこそ生まれ持ったものですよね。

知ってる。

なにせ高校生の頃、当時吹奏楽部に所属していた私は帰宅が夜の九時を過ぎるのがザラだったのだけれども、そんな時間に帰ってきたら兄は大体テレビゲームをしていて、私はゾンビが撃たれてぐちゃっとはじけ飛ぶような画面を見ながら晩御飯を食べていた。

いや情緒どこに置いてきた?

なんなら「うわキモい」「さっきの部屋にアイテムあったよ」などとガヤを入れたりした。

あれは結構楽しい時間だった。

兄ちゃんもそこまでうざがってはいなかった、はずだ。

なにせ寡黙な菩薩なので言動から窺い知ることは難しいのだけれど、なんとなくそう思う。妹の勘だ。

もしくはそうあってほしいな、という願望。

高校二年生の夜九時。

かけがえのない、いい時間だったと今でも思う。













ところで。

私の兄は知的障害者だ。












そんなこと言われましても


正確には知的障害を伴う広汎性発達障害、らしい。

今の今に至るまでずっと、私は母と差し向かいでこの話題をとりあげたことがないので120%の断言をする勇気はないのだが、兄の障害者手帳には広汎性発達障害と書いてあるので多分そう。

分かったのはいつ頃だったろう。

おそらく兄が小学校五年生、私は小学校二年生くらいの頃だったと思う。

あの頃、夜遅くになると母がいつも泣いていたから。

なんとなく『違う』んだろうなぁと確信したのは、兄が隣の学区の、特別支援学級がある中学校に進学したとき。

同級生のお兄ちゃんお姉ちゃんとは違う制服の学校に行く兄を見て、私は何かを悟った。

世間から向けられる目とか、母親がしている電話の内容だとか、そんなものたちから少しずつ拾い上げて、組み立てて、なるほどと理解した。

どうやら兄は『障害者』らしいぞ、と。

かといってそれで何が変わったのかと言われると、劇的な変化なんてものはなかった。

だって私が生まれたその日から、すでに兄はいたのだ。

九九は五の段しか言えなくて、日暮れまで二つのペットボトルで砂を入れ替えて遊び、チラシの裏紙で100万円札を量産し、まぁその他にもいろいろと不思議な部分はあったけれども。

それが私の当たり前で、我が家の当たり前だった。

私と兄の関係性に『障害者』と『きょうだい児』という名前がついていることなんて、知らなかった。



隣の芝生は今日も青い


兄ちゃんが『障害者』である、という事実は少しずつ私の心に影響を及ぼしていった。

多感な思春期の入口に立ち、将来について考えるようにもなった中学生の頃、私は夏休みの課題だった作文で兄のことを書いた。

内容はほとんど覚えていない。

ただそれがクラス代表になって、学年代表にもなって、文化祭で発表したことだけは覚えている。

内容の方が百倍重要だろ。なんで忘れた自分。

しかし、忘れた理由もなんとなくわかる。覚えていたくないからだ。

別に、内容がものすごく悪かったとか、そういうことじゃない。自分の書いた文章の出来を第三者的に冷静に判断できる自信なんてまったくないけれど、少なくとも日本語として破綻はしていない文章だったはずだ。

それでも覚えていたくなかったのは、私が人前に出るのが嫌いだったからでも、いやこれはちょっとあるかもしれない、だけどもっと別の理由がある。

母を泣かせたからだ。

中学校の文化祭で娘が作文を披露する、と聞いて母は当然のように来てくれた。その後だったか前だったかに吹奏楽部の演奏もあったから、ついでだったのかもしれない。

発表が終わって、結果発表も済んで、母と合流したとき。

母は赤い目をしていた。

泣いたんだなぁ、と思った。そりゃ泣くよなぁ、と。今まで私が兄のことをどう思ってきたかなんて、ずっと言わずにいたから。母からすればカウンターパンチを食らった気分だろう。

そしてここまで書いていて、作文の内容を一部思い出した。

「私は、兄がいることを初対面の人に言えない。兄が障害者だと知ったら、みんな戸惑ったような顔をする。あの顔をされるのが嫌だ」

私は壇上でそう主張した。

あの顔は、今でも嫌いだ。

でも、こうも書いた。

「兄が障害者であることを、心のどこかで恥ずかしいと思っている自分もいる」

難しいなぁ、と思う。

生まれたときからそこにいた兄ちゃん。

彼の穏やかで、ちょっと変わっている生き方。

それを当たり前だと思っていたのに、私はいつ、それを恥だと思うようになったのだろう。

今でも答えは見つからない。どうしたらいいのかも、わからない。そもそも恥とは? みたいな哲学的思考回路に毎度陥る。そして頭がパンクする。

それでも私は兄の妹として生きている。

これは多分、一生考え続けることになるんだろうなと思っている。

というか、兄ちゃんが普通の人だったらどんなんかなと想像する。今でも。

でもそれは「男兄弟しかいないからお姉ちゃんほしかったな」とか「天パじゃない人は縮毛矯正しなくていいから楽だな」とか「左利きの人ってなんかかっこいい」とかそんな感じで、ごくありふれた感情だと思う。

昔の人はこう言った。

隣の芝生は青い。

ほんとそれ。


十数年ぶりの追記


 いま、あの作文を、大人になった私が添削するなら、ぜひ書き加えたい文章がある。

 人が密集した体育館の一番奥、倉庫の扉の前あたりに立って、私のたどたどしい発表を聞いてくれていたであろう母へ。

 本当は直接会って言えたらいいんだろうけれど、このご時世だし、なにより私はシャイなので。文章であることは許してほしい。というかそもそも母はこのnoteを見ないだろうけど。アナログなお方なので。

 でも、これだけはどうしても綴っておきたい。


「お母さんへ

 あの頃、あなたは誰かに電話しながらいつも泣いていましたね。

 相手はきっと、あなたの妹だと思います。

 あなたは泣きながら、何度もこう言っていました。

 「私が悪いんだ」

 十数年たった今も覚えています。

 そしてずっと考えてきました。

 その答えを、あなたに届けたいと思います。

 あなたは一切悪くありません。

 兄ちゃんが障害をもってうまれてきたことは、兄ちゃんが悪いわけでも、あなたが悪いわけでも、そもそも誰かが悪者にならなければいけないことでもありません。

 あなたは息子を産んで十年以上経って突如として発覚したイレギュラーに、あなたなりに真摯に立ち向かってきました。

 面白くて優しい私のお母さん。

 あなたはとても素敵な人です。

 世界中の誰が何と言おうと、私はあなたを尊敬しています。

 だから胸を張ってください。

 何度だって言います。あなたは絶対に悪くありません」


 ここは体育館の壇上ではなくて無限大に広がるネット上。聴衆がいるかどうかは不明。でもいつか、ひょんなことから誰かが私の主張に耳を傾けてくれる日が来るかもしれないので。

 そして、私のお母さんと同じような立ち位置にいるひとがいるなら、そのひとにも、シャイな私の手紙が届きますように。

 十数年ぶりの追記。

 蛇足かなぁ。

 でもまぁ、それも味ってことで。



 そんな私は今日も、

 「兄ちゃん、ゴーストオブツシマ好きそうだな……」

 とか考えている。

 今度実家に帰ったら、兄ちゃん買ってないかな。

 そしたら私はそのゲーム画面を見ながらガヤを入れる。

 10年前と同じように。

 そして多分10年後も、同じように。



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