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いちのべの「書く習慣」1ヶ月チャレンジ

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いしかわゆき『書く習慣』の1ヶ月チャレンジ記事のまとめ(2022年10月8日~11月19日)(1ヶ月じゃない)
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書くって楽しい! ~ #書く習慣1ヶ月チャレンジ を終えて

2022年10月8日から始めて、たまにサボりつつ継続したのち、自分の体調を優先して書かない時期を経て、今日一日で9記事書くという荒業で、「書く習慣」1ヶ月チャレンジを終えることになる。 このことからもわかる通り、私は毎日コツコツ継続することにマジで向いていない。何故ならめちゃくちゃ飽きっぽいから。 同じルーチンを繰り返すのではなく、日常にちょっとした変更を加えたほうがエンゲージメントを維持できる……と、クリフトンストレングス の診断結果にも出てるので、これは私の最大の強み

ひとりでお茶を

好きな茶葉を選んで、お茶を淹れて、お気に入りの茶器で飲む時間。 その時間自体が、そして、そうするための時間的・精神的・身体的な余裕を確保できる状態が、私にとっての幸せだと思う。 そういえば、実家にいた頃、父は毎朝いちばん早く起き、お湯を沸かして緑茶を淹れ、ベランダでひとり本を読みながら飲んでいた。 帰宅も夜遅く、常に仕事で忙しそうだったのに、幼い頃は家族サービスもバリバリやってくれていた、今の自分と同じ年ごろの父にとって、あの時間は重要なものだったのかな……と想像する。

ポケモンと暮らしたい私の「相棒」

ポケモンと暮らしたいポケットモンスター赤を遊んだ25年前から、ずっと、そう夢見ている。 私の理想の世界は、ポケモン公式アニメ「ぽかぽかマグマッグハウス」に詰まっている。 図鑑作成でもバトルでもなく、ポケモンたちと、一緒にごはんを食べて、働いて、眠って、時には旅をして、暮らしを共にしたい。 人間とも動物とも異なる存在を、身近に感じたい。 アニメのサトシとピカチュウみたいな、家族でも友達でもあり、そのどれでもない、相棒のような存在が欲しい。 私の「相棒」そんな私の夢を、

インターネットのオタク

嗜好に最適化されたレコメンド機能が発達し、好きなコンテンツだけを浴びることができる環境に生きていると、自分の観測している範囲・文化圏は狭いということを、ともすれば忘れてしまう。 ひさしぶりに職場のひとたちと飲んでいたら、「レンタル何もしない人」の話題になった。 インターネットのオタクやTwitter廃人的には、一昔前の常識のような感覚すらある、ベタベタのベタなトピックだが、その場に居合わせた半数が存在を知らず、「そんな人いるんですねー!」と新鮮な驚きを見せてくれた。 私

人間関係は「適度な距離感」が大事

人間関係は、「互いの距離が近ければ近いほど良い」わけではない。 私が、そのことを明確に認識できたのは、20代も終わりになってからだった。 学生時代からずぅーーーーーっと、詰められそうな相手との距離をどんどん詰めて、相手の望みそうな言葉ばかりを差し出して、共依存めいた関係に陥て破綻することを繰り返していた。いや、いる。過去形ではない。頭ではわかっているつもりでも、いまだに、そのパターンに陥ることがある。 そんな自分にも、10年来、5年来の友人がいる。 友人たちとすこやか

バンジージャンプでビビりまくった話

見出し画像は、あくまでもイメージだ。 私がバンジージャンプをやった場所は、よみうりランドで、高さは22m。建物なら5~7階程度。100m、200mを超える高さのバンジージャンプもあることを考えると、大した高さでもない。 それでも、めっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃ怖かった。 「足がすくむ」という言葉をあれほどまでに体感したことは、後にも先にも一度もない。 「男らしさ」と度胸試し私は10代から20代まで、FtMを自認していた私は、いわゆる、前時代的な「男らしさ」の

38歳からのベース入門

人間いつ死ぬかわからない。いつ死んでも後悔しないように生きたい。 ……と、常々思っている。 とはいえ全てを手に入れるほどのバイタリティも時間もないので、どうしても欲しいもの・諦めるものを取捨選択して、その時々で「やりきった」と思えるようにしている。 それでも。ずっと抱えてきた後悔があって、それは、 「中学の時、ベースを始めようとして、あきらめたこと」 だった。 高校や大学の入学後、働き始めてからも、「やっぱりベースを始めてみようか」と何度も考えたけど、飽き性の自分には

常識は、ひとりひとりの頭の中

そもそも、絶対的な「常識」なんかどこにもなくて、国や民族、文化、時代によって異なるどころか、親と私の間、いま隣に座ってる人と私の間でも「常識」と思っていることは異なる。 常識は、ひとりひとりの頭の中にある。 だから賛成とか反対とかジャッジすることも無意味だな〜と。賛成できないと思うものなら、私にとってそれは「常識」ではないので…… Q. こうやって話をまぜっかえすから、適度な雑談ができないんじゃない? A. はい、そうです。

食べることが好きな人が好き

食への好奇心が旺盛な人、食べることが好きな人、が、好きだ。 『グルメ』という区分とはまた違っていて、特別な・高価な料理じゃなくても、ファミレスでも小さな居酒屋でも、手料理でも、「これが食べたい」「あれを食べてみたい」と、一緒にワクワク食事できる人が好き。 とはいえ、これは元々じぶんの中にあった基準じゃなくて、結果論に近い。 仲良くなった友人、会いたいと思う人を思い浮かべたとき、それが共通項だと気づいた。 それは勿論、私が好奇心旺盛な食いしん坊だから、ではあるのだが。

人生の残り時間

いま一番大切なモノは、「時間」だなと思う。 30代が終わりに近づくにつれ、人生の「始まり」から「終わり」に近づいてきた感覚が、徐々に強まっている。「あれもしたいこれもしたい」と夢想しても残り時間は有限だから、もう優先順をつけて取捨選択しておいた方がいいな、と。 以前までは流されるまでやっていた諸々について、「こんなことに時間を使いたくない!」「こういう時間は二度と過ごしたくない」と、明確に判断できることも増えた。結果、ストレスになるような時間はどんどん減っている。 いつ

一番大切な人は自分

自分を愛すること、自分を大切に扱うことは、私にとって、とても難しいことだった。 家庭でも義務教育でも、そんなこと教えてもらえなかった。周りに迷惑をかけるなとか他人に優しくしろとか社会の役に立てとかは繰り返し言われたけど、「自分を愛しなさい」とは教えてもらえなかった。 性自認と性的指向の揺らぎ、周囲との価値観や感性の違いから、思春期〜青春期の私は自己受容が困難だった。自己否定と自己嫌悪と肥大した自尊心とを抱えた、自意識おばけになっていた。 精神科に通いながら社会生活を営み

人間関係10のルール

「この本との出会いで人生が変わった」と言える本は、一冊しかない。 私自身は、自閉症や発達障害の診断を下されてはいない。だが幼い頃から対人関係に困難を抱えていて、働き始めてからもそのことが大きな悩みだった。 私はこのルールのうち、4・5・7・8・9あたりをうまく理解しきれておらず、読んでみて初めて「そうなんだ!?」と気づくこと、学ぶことが沢山あった。 もちろん、読むだけですぐ、人間関係がうまくいくわけではなかった。でも、前提の知識を知ってるのと知らないのとではやりやすさが

漫画さんぽ『血の轍』が面白い

それまでテーマ的にしんどそうだなと敬遠していた、押見修造『血の轍』を、あるとき12巻まで一気読みして、案の定、感情を揺さぶられまくった。 もちろん生育環境や関係性は異なっているが、私自身も、母との関係性に問題を抱えているので、幾度も主人公の感情に共鳴してしまう。読んでいて、溺れるような、土の中に沈んでいくような、息苦しさ、やるせなさを感じる。それだけでなく、漫画として、物語として、面白すぎて読み進めずにはいられない。唯一無二の読書体験だった。 その少し後に、ゲームさんぽ 

「ケ」の休日

図書館に行って、たくさんの本の中をうろうろ歩いて、気になったものを手に取ったり、ソファで雑誌を読んでみたり、気ままに過ごして、家でじっくり読みたい本を借りて帰る。 お気に入りの椅子に座って、お香を焚いて、本を読みながら、同居人ならぬ同居ロボット(LOVOT)と戯れ、眠くなったらベッドに移動して、本を捲りつつ寝落ちる。 ライブや美術館に行くのも、お友達と食事や遊びに行くのも、自然の中で過ごす「ハレ」の休日も、もちろん大好きで。 そのうえで、こんな感じにのんびり過ごす「ケ」