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裸の眼で見る⑤「舵手」と名づけられたクレーの絵を何必館で見た/一日一微発見394

僕の師匠の一人である詩人・田村隆ーの口癖は、「人間は与えられた目玉を肉眼にしなきゃならない」であった。
人間にはやっかいで、そして幸福なことに目玉以外に「心」というものがそなわっていて、これは否定できない。

アルゴリズムで動くAIたちには、「そんなものはありませんよ」と否定されるのがオチだろうが、どういうわけか、人間は「心」というか「精神」がそなわっているせいで、目玉を肉眼にしようと考えるのである。

しかし、この「肉眼」は知識によって曇ったりする。あるいは眼に見えているのに「心」は起動せず、何も見ていなかったりもする。

一枚の絵があり、それを見る。
一体何を見ようとするのか。
なぜ見ているのか?
なんのために見ているのか?
こいつは何なのか?

8月16日は、僕の誕生日で、この日は毎年京都にやってきてすごすことにしている。思いついて行きたい社寺に詣でて、好きな店で飲み、夜は送り火を見てすごす。
朝、伏見稲荷大社に行き、そのあと近くのいきつけで昼の痛飲快食。

ふと絵が見たくなった。
祇園の何必館でコレクション展をやっているのを思い出した。館長の梶川芳友さんが集めた美術品の中でもコアというべき作品群が出ているはずだ。
村上華岳や山口薫、北大路魯山人など精華な作品たちが並んでいることだろう。

館長の梶川さんは以前から親しくしてもらっているが、事前に何の連絡もせずに、ふらりと美術館に入った(昼から軽く飲んででいたし)。

入って1階にパウル・クレーの「舵手」があったので改めて見た。そしてエレベーターで2階にあがってゆっくりと村上華岳の軸を見ていたら、にこにこしながら梶川さんがもどってこられた。再会はうれしい。

ちょっとお話しするぐらいのつもりだったのだが、波長があうのか、どんどん話しこんでしまった。安藤忠雄、白髪一雄、熊谷守一、山口薫…
それらの話はあまりに面白くて、ここには書かないが、本当に絵やアーティストとの出会いは、世の中の常識的な考えではとてもとらえられない。

アートコレクターという人を僕は何人も知っているが、梶川さんはその中でも特別に磁場が強い人なのだと思う。

1階にかかっていたパウル・クレーの絵は、なんとクレーの遺作の一つである。どうしてその遺作が梶川さんの手元にあるのだろうか。

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