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ダムタイプの新作『tangent』のための「走り書き」/一日一微発見429

キューブリックの映画に出てくるモノリスもデレク・ジャーマンの黒い小屋も、そして言うまでもなくマレーヴィチの黒い四角形もまた「シプレマチック」つまりは、絶対的で至高的な追求である。
人はそれに接した時に、コトバを失なう。
形容や物語や比喩の機能を失なってしまうのだ。

しかし、このシュプレマティックな「体験」は抽象的なアートにおいてのみ発生するのではなく、すべての存在は潜在的に持っている。

テーブルの上のビンもコップも地球儀だって真っ黒に影で塗りつぶされてしまえば、絶対的な存在性があらわになる。
それがあらわになるには、宇宙における絶対的な孤独が召喚されなくてはならないだろう。そして、その至高感が人におとずれることは、ある種の宇宙的な孤独の感覚に襲われることだから、恐怖であり、忘れられない穴をあけてしまうことになるだろう。

さて、ダムタイプの8年ぶりの新作「tangent」を見た。どうしても初日に見たかったし、運のよいことに前列の5列目というかっこうの視点で見た。

会場に入ると舞台全体が斜めになっており、白い矩形をなしていた。
その上には、白い石と白でない石(こちらは小さい)が点在していて、中央には、シンプルな脚に長方形の板がのっている。あとは高いところに登れる脚立が一台。
舞台正面奥が長方形(スクリーン)になっている。
それだけのシンプルなものだ。

そして左から右に孤状のアーチが舞台をまたいで存在している。天井をみあげると同じ形をしたライトが天囲に左右ギッシリと3列に並んでいる。
これが舞台の全てである。

やがて暗転し、まっくらな闇に没入してからの「出来事」や「体験」をコトバにすることはやめておこう。
それはこの文章の冒頭にもメモしたように、コトバを孤絶する至高的な挑戦であるからだ。

ちょっとだけ想像して欲しい。
あなたがもし地球の外に出て、月面のような場所におりたら、宙をあおいだとしたら。そこには日常的な色のついた野山はなく、人が行き交う道路も、家族が暮らす家もない。

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