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IN & OUT of TOKYO 22「66歳の誕生日に(運動体、東へ西へ)」/一日一微発見150

昨日の夜、東京から浜松に戻り、そして今はもう、京都に向う新幹線の中にいる。

今日は、なんと66回目の誕生日である。

思えば、よく生きたものだと呆れると同時に、これからもまだまだ生きそうな気がするので、長く生きるということが、面白くもなってきた。80歳ぐらいまでは、なんとか行ってみたい。

「独特編集老人」というのも悪くない。

20歳のころは、40歳ぐらいで死ぬもんだと思っていた。

とりわけ、30歳のころは、撮影や取材で世界の危ないエリアも、写真家と随分一緒にまわったが、そうなかなか命を落とす、ということはなかった。人生とは、びくびくしながら生きるものではない、大股でいくべし、と了解した。

僕は、大学生の頃に、山田風太郎の『人間臨終図鑑』を愛読していたのが、『独特老人』に火をつけたようにも思う。

この本は、ゼロ才で死んだ者から100歳以上の天寿を全うした者まで、等しく900人以上の顛末を記述した本だ。
もちろん『独特老人』に、山田風太郎の「聞き書き」を入れたのは、申すまでもない。

しかし、人の天命ということは、歳を取るに従っても、相変わらず、全く不明である。

高校の時に大枚はたいて集成をそろえた澁澤龍彦は、60歳にたどり着かず死んだし、愛するロラン・バルトも大人の見本の開高健も70歳を超えなかった。

うちの先生の田村隆一(まもなく命日)は、階段から落ちて、病院で肺炎になって死んだ。74歳だったが、階段からおちなければ、あとどれぐらい心に刺さるな詩文を書いたろう。

澁澤さんの家に行ったことや、開高さんに、バーで謁見できてよかったと思うと同時に、先輩諸氏がすでにこの世にいない不思議を痛感する。

「いや、それは迷妄だぜ、ニイさん」という、ヤクザなささやきが何処からする。

はっとする。
なるほど、生きている時間など、10代でも60代でも同じなぐらい等しく刹那なのだと。古いも新しいも、ありゃしないと。

例えば、僕は新幹線の中で、今、石川淳のエッセイを読んでいる。江戸の文人墨客たちについての、珠玉の散文である。

しかし、僕は昨日はzoomで、うちの通信大学院生たちと、一日中の議論であり、クレア・ビショップの『ラディカル・ミュゼオロジー』や、ランシェールをめぐって感性による分有を語り合っていたのである。

これは、僕の読書の守備範囲が広いという自慢話ではなくて、これは、ともに刹那における「精神の運動(石川淳風にあえて言ってみる)」に過ぎない。つまり、その差異は大した話ではない、ということだ。

そう考えると、先輩たちが、先に死んだことも、大したことではない。

だって、生きてるやつでも、幽霊、ゾンビだらけだぜ。
死んだ人の方が、生きているってことだってあるのだ。

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