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進化する編集④「開かれていない編集」は退屈だ/一日一微発見426

「戦略的編集」は、「ケーススタディ」の具体性から学ぶことにより始めるのが良いと思う。

「ケーススタディ」というコトバを考える時にまず誰しもが、アタマにうかぶのはチャールズ&レイ・イームズの「ケーススタディハウス」だろう。彼らの仕事のしかたは、極めて具体がベースとなり理論化された。
コミュニケーションシステムなどは典型的だと思う。彼らはノイズやリダンダンシー冗長性に注目した。抽象的な推論が先にあるのではない。

僕は、編集の重要なポイントを「開放度」つまり「オープンなスタンス」に置いているが、何が起こるか分からないことを受容しながらコトを進めることが、何より大切だと思う。
仕事も人生もガチガチに計画したのではつまらない。かといってただ場当たりの成り行きでもだめだ。

編集の結果物には、既知ではなく、未知が混じり込んでいなくては、寿命が短い。すぐ消費されて終わる。未来において理解されるぐらいでちょうどいい。そう思っている。

チャールズ&レイはもちろん編集者ではないが、「編集者の未来形」として僕は見てきた。

彼らのスタジオの作り方、IBMと組んだ数学の歴史の展覧会が立体的なレイヤーで出来上がっているハイディメンショナルなやり方。彼らが旅やスタジオで撮影した写真がセレクトされ使われている「HOUSE of CARDS」を、僕は本当に素晴らしい「編集」の発明だと思っている。

僕は「エンドレスノート」というオンラインでのトークシリーズで、イームスの他にもブライアン・イーノやバックミンスター・フラー、ジャン=リュック・ゴダール、花森安治ら30人以上の「逸脱する編集力」の人たちを取り上げた。それこそが「戦略的編集」の人、編集の未来形がそこにあると思うからである。

彼らは皆、編集によって自らの人生を実験動物として世に晒した。ケーススタディとして晒したのだ。何を食べ、何を着て、どこに行き、何を見て、何をアクションするか。そのすべに彼らの「編集」が浮かび上がる。

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