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日本の美術をアップデートするということ③加山又造/一日一微発見355

高校生の終わりまで僕を支えていた唯一のことは、絵を描くことであった。
しかし、一家の事情があり、絵を描くような「内」にこもることよりも、「外」に出ることにふみ出したこともあって、「ヴィジュアル」(写真やデザイン)とテキストを組みあわせる「編集」の世界への旅を選択した。だから、「絵」を描くことには封をすることになった。

だからといって、かたときも絵を断念した気持ちは無かったし、かつて小説家の吉本ばななさんに、「後藤さんは、人で絵を描いているのよ」と言われて、影の心臓部をナイフで刺されたような気持ちになったこともある。

まさしくそうであるかもしれない。絵とは切ってたも切れない宿業のようなものがあるんだろうな、と思う。「業」の深いことだ。

僕は絵を見るのが好きである。性分だ。
古典だろうが、コンテンポラリーだろうが、国も様式も関係ない。
その絵がどのようにして描きあがって行ったかを妄想するのが好きなのである。

世界中旅してきたし、美術館も行く。
旅も好きだが、絵は、それ以上の体験を与えてくれるものだ。喜びと勉強は終わりがない。
それは、思いのほかに不可思議なことではないだろうか。

加山又造さんのことについて書きたいと思って、タイミングをみている。まだまだ勉強が足りないのでまともなことは書けない。
だから、今から試みるのは、覚書程度だ。
すこし奇妙な気持ちの吐露になるだろうが、未熟でも書いておきたい。

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