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日本の美術をアップデートするということ⑤ 京の日本画(上)木島櫻谷/一日一微発見373

今年の日本画、とりわけ「京の日本画」を考える時の目玉は、木島櫻谷と橋本関雪かもしれない。
櫻谷は近年「再評価」が進んでいるらしく、京都や東京の美術館で巡回展が行なわれ、また、橋本関雪は生誕140年目にあたるということで、京都は自宅・アトリエであった白沙山荘だけではなく、嵐山の福田美術館、嵯峨嵐山文華館の3館で同時に開催されるという。

僕は日本画に関しては専門外だから、好きで見てきたにすぎないが、先日、木島櫻谷の展覧会場をゆっくりと見てまわりながら、櫻谷を見る時にいつも感じる言いがたい「違和感」に今回もひどく襲われたのだ。

確かに、「写生」と漢詩的教養を軸にして櫻谷の魅力に光を当てようとしているキュレーションは分かる。しかし、感性のセンサーは働いてはくれない。
どうしてなのだろうか?

それは櫻谷が描いた絵を「評価する」とか「評価しない」とか以前に、どうして「こんなにも遠くに」感じるのだろうか、ということだ。

これは次回に書こうと思っている橋本関雪にも言えることなのである。

京の日本画を見たり、考えたりする時は、円山四条派をコアとする京都画壇というものに接近し、その「ひだ」にわけ入る必要がある。

もちろんそんなものを知らなくても、絵を見たり評したりはできるのだが、それは京都に観光で来て好き勝手言っているにすぎず、すこしも京都と交わったりしてしていないということに似ている。

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