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台北ビエンナーレで「Small World」ということを考える/一日一微発見415

僕の本棚に小説家・朱天心が書いた短篇集『古都』があり、久しぶりに手に取る。
僕は80年代から逃避するように海外に行き出したが、最初は上海だった。だが台湾へ行くのは、90年代にひととおり欧米や辺境をめぐったあとのことだった。遠くに行きたいという衝動の果ては、身近な足元に行き着くものだ。

『古都』は奇妙な小説で、台北と京都をだぶらせて書かれていたし、日本の植民地下にあった台北の街の地図が、リアルであると同時に想像力の街を頭の中で起動させてくれる面白さがあった。身近な京都と台湾のダブルイメージは、個人的に新鮮だった。

そして台湾にはまった。
以来、多い時は一年に8回、少なくともコロナ前までは最低2回は台湾に行くようになった。
台湾は僕にとり「内と外」を同時に体感させてくれる重要な場所になったのだ。

例えば、アジアについて考える時は、日本からではなく、台湾にいてパースペクティブをもつのがよいと思うようになった。
それは、他の人にとってはソウルであったり、シンガポールであってもよく、僕の場合は、たまたま台湾(台北)になったということだ。

「二重性」。
子どもの頃、大阪の飛行場近くに育った僕は、家の近くにまだアメリカ人の家や、台湾からの出稼ぎの家があり、日本と異国の「二重性」があったが、いつの間にかわからなくなってしまった。戦後が急速に終わったのだ。

しかし、台湾に行くと「同」と「異」の「二重性」をまだ強く感じる。小説『古都』のように。それゆえに、台湾から考えることが大切な機会となる。

台北 ビエンナーレに最初に行ったのは2010年代からのことで、はっきりおぼえているのは、台北市立美術館で見た、アンセルム・フランケがキュレーションした「モダン・モンスター」だ。その次2014年に二コラ・ブリオーが手がけた「グレートアクセラレーション」である。

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