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「つぎ」にどこへ行くかは「今ここ」にすでに書かれている/一日一微発見155


先日の夜、伊藤桂司くんとインスタライブをやった。

彼とは長い付き合いだが、僕にとっては珍しく「友達」と呼べるような人だ。
「後藤さんは、つきあいも広いし、友達が多いでしょう」といわれるが、全く逆である。
つねづね口にするように、僕は「人」が苦手だ。
石や植物や動物の方がはるかに「友達」なカンジがする。
アニミズム万歳である。


そんな「人づきあい」の中で「友達」と素直に言えてしまうのだから、そのことは、どんなことなのだろうか。
ひとことで言えば「ヴァイブレーション」だろうか。

しかしそれは単純ではない。ただ「気があう」という以上に、「何か」を共有していないとダメだからだ。

「ヴァイブレーション」のチューニングがあう人は、あんまりコトバで話さなくても、一緒に静かな浜辺やきれいな風景の前にいて、コトバ少なにニッコリしている感じにひたれる人なのだと思う。

その晩は、それでも思いきっていろんな特別なことを喋った。
僕はNEOTOKYOZINEで「Lounge of Psychedelia」というスペシャルZINEを作った。桂司くんはコロナのただなかで、黙々とその新作を作ってくれた。
「Lounge of Psychedelia」は傑作になったと思う。このZINEは、すばらしく美しく、そして意味あるものになったと思えるからだ。

まずXEROXのイリデッセの機能を最高に活かしたこともあるが、特筆すべきは、その内容である。
桂司くんと話してまず重要なヴァイブは、彼が音楽という、目に見えず、そしてリズムをきいただけで、歌われている言葉がわからずとも、魂が捉えられ、踊り出してしまう世界を、「コラージュ」という2Dの世界に置き換えているということから来る。
彼はそれを「音楽の見えない断面のような感じ」と言った。
大切な秘密だ。

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