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「じっと手を見る」は、切ない?

窪美澄さんの作品は、かなり読んでる方だと思います。「ふがいない僕は空を見た」がR-18文学賞をとったときに大学の生協で単行本を買い、それから何年かは初版で買ってて、その後は文庫まで待ったりしながらも、なんだかんだほぼ読んでます。私の場合、そんな感じで読んでる他の作家さんは、綿矢りささん、朝井リョウさん、川上未映子さん。…ジャンル偏ってますね。笑

私、同じく窪さんの「やめるときも、すこやかなるときも。」がどハマりだったので、「じっと手を見る」も同じ部類のどハマりでした。

がんばって一言で説明すると、物語の中心の女の子・日奈ちゃんが、恋愛や介護士の仕事を通して、ひとりの女性として成長していく何年間かのお話。なんですが、一冊を通してすべての登場人物、切なさ満点。日奈ちゃんは一生懸命なのに、だからこそ切ないし、日奈ちゃんが恋をする宮澤さんも、日奈ちゃんに想いを寄せてひたすら大事にしてくれる海斗も、心の中を覗いていくと、なんか心がひりひりしてくるぐらい切ない。すごい投げやりに生きてる真弓も、最後の章でチラチラ出てくる、ご近所に住む村松さん一家でさえ切ない。

切ない切ないと書いたけれど、私は、不器用に一生懸命生きてる人たちをそう表現している気がします。みんな違う悩みや境遇なんだけど、一生懸命だからどの人にもすごく感情移入しちゃうし、私もそういうことありそう、こんな悩みある、こんな経験あった、なんかそういうことが自分に落ちてくるんですよね。

そして、他の窪さんの作品もそうですが、根っからの嫌な人が出てこない。…いや、違うか。ただ嫌なやつって切り捨てきれない人ばかりが出てきます。たぶんそれも、みんな一生懸命だからだと思う。誰にも彼にもどこかに共感しちゃう。私にとって、窪さんの小説の魅力って、人物描写かもしれません。

終わりの日奈と同世代の私は、日奈の淡々としたたくましさが羨ましかったです。たぶん、本人は気づいていないし、日奈が友達にいても私はそれを教えてあげないと思う。でも、密かに明日から私も頑張ろうって思ってる。

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