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天才・藤井聡太の前に座った男の物語

将棋の藤井聡太四冠のドキュメンタリーを観た。


タイトルに「藤井聡太」とあるが、内容は豊島九段との竜王戦にフォーカスした内容であり、「藤井聡太」の話というよりは「藤井と豊島」であり、もっと言えば「藤井を前にした豊島」って感じで、なんならこのドキュメンタリーの主人公は豊島九段だった。

やはり藤井聡太は天才のようだ。トップ棋士が100人いたら100人指さないような手を竜王戦の土壇場で繰り出し、「最も自然な手ではないですが、選択肢には入る手だとは思います」と飄々と答える藤井聡太。この手については後日「AIでも6億手読まないと出てこない手」と言われ話題となった。

このドキュメンタリーで面白かったのは、そんな天才藤井聡太に着目するのではなく、そんな天才を前に、敗れていった豊島九段に目線を向けたことだった。個人的には、天才藤井聡太の紡ぐ言葉よりも、敗者となった豊島九段から溢れる言葉の一つひとつにドラマを、ストーリーを、そして人間を感じられた。以前、羽生善治の著書を読んだときに「なんか人間離れしすぎてて参考にならないな」と思ったことがあったが、藤井聡太についてもなんかそんな印象で、それよりもそんな天才に敗れていった方の「人間」にこそ大きな物語が積もっていくように僕は思ってしまった。

特に象徴的だったのはこの言葉。「"棋は対話なり"という言葉がありますが、将棋というのは対戦相手がいないと指せないもの」。これはヒカルの碁でも出てきた、「等しく才けた者が2人いるんじゃよ。2人揃って初めて"神の一手"に一歩近づく」という言葉に通ずるところがある。つまりは天才が一人いたところで、"名対局"というものは生まれないのであり、もうひとり同等の力を持った者がいて初めてその対局が素晴らしいものになるということである。

藤井聡太について、彼の師匠はこう評している。「彼は将棋という宇宙の隅々まで探求したいという心がある。でもその全てを皆さんに見せられていないということに、悔しさを感じているのではないか」。そして今回藤井聡太に破れ、竜王位を失った豊島九段は最後の対局についてこう語っている。「(藤井さんが)すごい先のほうまで正確に読まれているので、自分もそこに到達して、もうちょっと先の局面まで指したかったなと

天才藤井聡太。彼の凄さは記録や記憶に残っていくだろうが、彼の将棋の価値を本当の意味で高めることができるのは、その対戦相手なんだなと感じた。たとえその戦いに敗れたとしても、その棋譜は「傑作」と呼ばれるものになっていくのだと。そんな敗れた男にも光を当てた素晴らしいドキュメンタリーだった。この先も続いていくだろう、2人の勝負の歴史を見守りたい。そんな気持ちになった。

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