推し活と宗教


 つい勢いあまって今の気持ちを書き残したく、初めてnote使ってみました。

 色々な人達に叱られそうな内容を書きます。
 推し活を行っている先輩方はもちろんのこと、実在の特定宗教を熱心に信仰なさっている方々からも「浅い期間と気持ちで軽率なことを書くな」と思われてしまいそうですし、遠い昔のご先祖様からも怒られそう。

 良い意味で「軽い気持ち」で書いた文章として、暖かく流していただけると幸いです。
 気持ちは本気、ノリは冗談、のような話です。

 前置きが長くなってしまいました。
 さらに少し自己紹介をさせていただきます。
 自分はVTuberの宝鐘マリン船長を推してる新参一味見習いです。

 新参ですし、あくまで尊敬する表現者の一人として見ているので過度に神格化することはあるまい、そう思っていました。

 思っていたはずでした……

 話変わりまして、かつて日本では雨乞いという文化があったそうです。
 日照りが続き作物が育たない時に、天に祈りを捧げ……やがて降る雨に喜び「雨じゃ!恵みの雨じゃ!」と神様または仏様に感謝するやつです。

 再び話は推し活に戻りまして。

 宝鐘マリン船長が好きなことは大前提として、X(旧Twitter)で数々の素敵なイラストを拝見するのも、もちろん好きです。

 ある日ふと『推しが幸せそうに、嬉しそうに何か食べてるイラスト特に好き。でも中々見当たらない』という趣旨のポストを投稿しました。
 投稿して、そのままタイムラインをふらふらとさまよっておりました。

 すると、その少し後に『宝鐘マリン船長のXアカウントが直々に〝そういうイラスト〟をリポストしている』という事案が発生しました。
 クマリンが幸せそう食べてる絵を、マリン船長がリポスト。

マリン船長「キミぃ、探し方が足りませんねぇ?このイラストですよ?ほらぁ」(幻聴)

 当然マリン船長はこんな路傍の小石のような弊アカウントを観測している訳もなく、タイミングは完全に偶然。
 ただ、偶然だったからこそ「ちょっとこれある意味……雨乞いに似てるな?」と思いました。

「リポストじゃ!神(推し)からの……恵みのリポストじゃ!」

 推し活を始めた割と初期から「推しへの挨拶」という光景をタイムラインで目にしました。
 推しが配信や投稿を行っておらずとも、Xに浮上すらしていない日も、欠かさず律儀に「〇〇さん、おはようございます!(または何らかの挨拶)(ここから近況や感謝の辞)」といった内容です。

 同担(という書き方で合ってるのかな?)の宝鐘海賊団一味の先輩方のみならず、様々な推し活を行っている方々が熱心に推しへ挨拶ポストを投稿しています。リプじゃなく単発で。

 当初の正直な感想として、少し失礼な話を承知で書くと「そこまでするものなのかな?」「要るか〜?これ」という気持ちが少しありました。
 ですが、これは大きな思い違いでした。

 ありがたいことに日々楽しくお話ししていただける一味のニキがいます。
 某術廻戦ではありませんが、勝手にブラザーだと思ってます。
 その会話に暖かさを感じた時、楽しかった時「考えてみたらマリン船長推しというきっかけがなかったら、ブラザーとのこういう時間もなかったんだな」と気付きました。

 それ以外も、思い返すと日常の端々で「推しへの感謝」が生じる瞬間が自分にも、確かにありました。
 そうして、マリン船長ありがとうポストを投稿している自分の存在に気が付きます。

「なるほど、つまりこういうことだったのか」

 そう、悟りました。

 具体的な団体や宗教には言及しませんが、日々感謝の気持ちを表現したり聖地の方角へ礼拝する方々が存在します。
 こちらについても、以前は「そこまでするものなのかなぁ」という気持ちが内心の本音でした。

 でも今ならほんの少し共感できる気がします。

 そう考えると、推し活と宗教って少し似てるな?と思います。
 Vに限らず色々なコンテンツで、よくファンのことを「信者」と表現するのも案外的を射ているのかも。

 宗教も推し活も、きっと傾倒し過ぎると実生活が良くない方向に作用します。
 しかし、適切な距離感を保てば心や人生が豊かになるものに見えます。

 これからも自分にとって丁度いいと思える立ち位置で、趣味のような宗教のような「推し活」を細く長く楽しみたいと思った秋の朝でした。

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