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169/366 自分の琴線
こんばんは。
今日も書いていこうと思います。
今日、会社の同僚にこう言われた。
『〇〇さんの琴線はどこですか?』
背景を書くと、会社でどうしても変えたい事象があり、その改善策を同僚に相談していたときだ。
その変えたい事象を考えた時にどうしてそこまで変えたいのかと問われた時に、同僚に上記のような言葉をかけられた。
琴線。
自分の感情に触れる場所。
琴線は多くは感動に対して使われるイメージだが・・
今回の自分の琴線は怒りだった。
まだやれるだろう、もっとやれるだろう、何故だ、どうしてだ。
そんな感情がメラメラとぐつぐつと心の中で胎動している。
もはや琴線なんて溶けきっている。
自分の信条として『できることはできるだけ、でもできる以上にできるのであればそれ以上を求めたい』『感動は常識や思惑の上のことでしか起こらない』と思っている。
その二つが自分から見て、できる余地があるにもかかわらず行えていない現状を見て、自分の琴線に触れ、変えたい事象が出てきたわけだ。
同僚に言われた一言で自分の大事な思想が改めて浮き彫りになった。
やっぱり自分は目の前のことに燃えていたいし、できることは最大限したい。
与えられているカードを惜しみなく使い倒したい。
なぜか。
自分は自分の持っているカードが少ないことを自覚しているから。
決して誇れるものは多くなく。
むしろ苦手と思うことの方が多い。
だから配られたカードがあるだけでも素晴らしいことだと知っている。
そのカードを使うことなく、捨てている現状を見て自分の心の中で叫び声が聞こえる。
『ふざけるな。』
ああ、なんて荒ぶっているのだろうか。
でも同僚の言葉で再認識した自分の心。
この心の炎で誰かを燃やさず、自分を燃やして、少しでも多くの目の前にいる人たちに火を灯せるように。
まだまだやれることあるな。
感動を届けていこうと思う。
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