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表千家・裏千家・武者小路千家の1~3代

表千家・裏千家・武者小路千家の1~3代について簡単に紹介します。

三家の1〜3代までは同じ人です。4代からは3代(千宗旦)の三男が表千家、四男が裏千家、次男が武者小路千家に入りました。

今回は、1代 千利休、2代 千少庵、3代 宗旦について簡単にまとめました。



1代 千利休(せんのりきゅう)

大永2年〜天正19年(1522〜1591)70歳

大永2年と天正19年の出来事を調べてみました。

大永2年:将軍・足利義晴(あしかがよしはる)が25年ぶりに官職を任命する儀式を開催/達植宗(だてたねむね)が陸奥守護に就任・達植宗(だてたねむね)が陸奥守護に就任。

天正19年:豊臣秀吉、関白の位を豊臣秀次に譲り、太閤となる/豊臣秀吉が、ポルトガル領インド副王に宛ててイスパニア王の来日を要求した/豊臣秀吉が、スペイン領フィリピン諸島(小琉球)に朝貢と服属を要求。

千家の祖であり織田信長と豊臣秀吉の茶頭でもあります。

本名は田中与四郎と言います。堺の商家に生まれ、生涯のほとんどを堺で過ごしました。利休は豪商・武野紹鷗に茶の湯を習いました。利休の号は天皇から与えられたものです。

エピソード

利休の家の朝顔が美しいという噂を聞いた秀吉は、利休に「朝顔がみたい」と朝の茶会を命じました。秀吉が利休の家へいくと、朝顔は残らず引き抜かれ何もありませんでした。腹をたてながら茶室に入ると、床には見事な朝顔が一輪飾ってありました。秀吉は、その美しさに感心したという話です。



2代 千少庵(せんのしょうあん)

天文15年〜慶長19年(1546〜1614)69歳

天文15年と慶長19年の出来事

天文15年:河越城の戦い(川越夜戦)/足利義輝が室町幕府13代将軍となる。

慶長19年:大阪冬の陣

千利休の後妻(宗恩)の子。

千利休が師。

利休の茶の湯を広めた人物です。



3代 千宗旦(せんのそうたん)

天正6年〜万治元年(1578〜1658)81歳

天正6の出来事

天正6:御館の乱/耳川の戦い/第二次木津川口の戦い/有岡城の戦い

千少庵の子供。

師匠は千少庵。


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