見出し画像

わたしと短歌のはなし

短歌をもうかれこれ6年くらいやっている。

短歌との明確なきっかけは思い出せない。しかし、昔から本を読むことは好きだったが、膨大な文字数を前にして「ハイ感想をどうぞ」と言われてしまうと、何から触れればいいか分からなくなってしまって「おもしろかったです」としか出てこなくなる私にとって、(基本は)31文字で完結(とは限らないけど)する短歌とは真剣に向き合うことができたのだと思う。活字中毒をこじらせていることもあって、Twitterの活動、#tankaの存在を知るのはかなり早かった。投稿するのも、眺めるのも好きだった。うたの日にも一瞬参加していた時期もあったり。気づけば短歌に身を浸している、そんな高校3年間だった。

大学に入学してからは、青松輝さんの存在でさらに短歌への熱は加速する。今もゼミで短歌のことをやっていて、卒論もそれについて書くつもりである。だけど、「短歌が趣味」と周りにあまり言えずにいたので(最近はブームがきてほんとうに言いやすくなった、ありがとう)、ずっと短歌はひとりで向き合うものだと思っていた。

しかし、今年の春、ウチの大学にも短歌サークルってあってもいいよなと突然思い立って、立ち上げた。短歌サークルを。

作って1ヶ月ほどで、25人も入ってくれて。「最近短歌が流行ってるから」という理由で来てくれた人もいて、嬉しかった。短歌ほんとに好きでやってます!って人たちとも出会えた。なーんだ、ひとりじゃなかった、嬉しいな。ほんとうにそう思っている。それからは部員と短歌のことを話すことが本当に楽しくて、好きな短歌、好きな歌人、最近読んで良かった一首、自分の過去作とか、共有できることがとても幸せで。歌会なんかもしちゃったりして。

大袈裟だけど、生きててよかったなーって噛み締めるように思っている。自分でサークル立ち上げといてアレだけど、自分の人生ほんとにこんな幸せな事あるんだって、関わる度にうれしくなる。

短歌を趣味にしていることをネタとして消費されることもある(それはちょっと寂しくなる)、ほんとうに短歌のことが大好きで何度も心を救われてきたから、それを笑われてしまうと、自分の今までの苦難や小さな喜びすべて含めた人生そのものも笑われた気がして胸が痛い。

だけど、それを凌駕するほどの喜びがあって。それは歌会に行けばみんながいて、また大好きなことについて共有できるという自信ができたからというのが大きい。

将来短歌を仕事にする気はないし、大会で賞をとりたいという気持ちもない。
ただ、心がしんどいときに短歌を読んで救われたいし、わたしの短歌で救ってみたい。反対に、短歌が原因で鬱々とした気分になりたいし、させてみたい。こころの揺れを短歌に触れることで感じていくような人生がいいと心から望んでいる。そう思いながら今日も短歌を詠ん/読んでいる。

こんな31文字にもならなさそうな内容をダラダラと1200文字も書いてしまった。

今日はひさしぶりに分厚い本を読もうか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?