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自分らしく生きていかなければ 前編

はじめに

このnoteでは今までの人生を振り返りつつ、自分らしく生きることについて書いていきたい。


小中高を生き抜く

初恋の人が女性だったので、自分が周りの人間と異なることは小学生の頃からなんとなく気がついていた。
女性として生を受けて7年、小学2年生のことである。

友達と盛り上がる話題といえば恋バナなのだが、当時からすでにメディアや小説、周囲の人間の語りなどから異性愛がベースになっているんだと察していたため、私に「好きな人いるの?(よね?)誰なの」の矛先が向くと困ったのを覚えている。つまらない人間だと判断されてそのグループからハブられることが怖かったので、クラスの人気者の男子の名前を適当に挙げてみたこともあった。

初恋の人は運動神経抜群(ドッヂボールが超上手)で、本をよく読む人で、頭がとっても良くて、よく笑う、本当にかっこよくて可愛い人です。好きになった理由がちょっと子供っぽすぎる。でもそういうものだ。小学生なのだから。
先程「だった。」じゃなくて、「です。」と書いたのはまだちょっと好きだから。いや、かなり好き。

私の猛アタックとダル絡みが功を奏して、その子とは大親友と言ってもいいほどの仲に発展する。小学6年生の頃はほとんど毎日彼女の家の近くにある公園まで自転車をかっとばした。会いにいく理由は「遊びたいから」ではなく「好きだから」だった。間違いなく。

結局好きな人は中学校進学をきっかけに、比較的遠い土地まで引っ越してしまう。
最初彼女の口から卒業後に引っ越すと聞かされた時は、あまりにもショックでその日はすべての授業を泣きながら受けた。泣きすぎて6限目くらいで隣の席の子から「大丈夫か……」と本気で心配された。今思うといくらなんでも泣きすぎである。ていうか好きすぎ。ガキンチョのもつエネルギーは計り知れない。

それからは、異なる土地で中学・高校とお互い人生のコマを進めていく。二人の間で、新年には年賀状を、彼女と自分の誕生日にはプレゼントと共に手紙をよこし合うのが習慣になった。ある年、自分の誕生日に「あなたに合うと思って」と彼女から小説3部作が贈られてきた。本屋で私のことを思い出してくれたのか!と舞い上がってしまい、その3冊は何度も何度も、繰り返し読んだ。
大学生になった現在でも連絡は取り合っており、帰省した際予定が合えばどこかに出掛けたり、2人で旅行をしたり。頻度こそ少ないが、彼女との予定ができるたびに「もう10年以上の付き合いになるのか……」と幸せを噛み締め、当日までご機嫌、楽しみすぎて眠れなくなる。

好きな人の話になるとつい喋りすぎてしまう。ここらへんでやめておこう。


高校生になると触れる情報に比例して知識も増え、ある程度は社会の状況が見えてくる。それと同時に、自分の立ち位置というのもぼんやりとわかってくる。
ちょうどこの頃に、自分は性的マイノリティなのだと認識する。しかしながら、まだどのような分類になるのかは曖昧だった。
「同性も異性も恋愛対象、というよりは、性別なんて関係なくて、相手の人間的な魅力次第ではないか? あ、でも知的な人は好きになりやすいな。あれ、さっき同性とか異性とか言ってたけど、私の性別ってそもそも何……?もちろん身体的性別は女性だけど、心はと言われると必ずしもそうではないな。でも男性なのかと聞かれるとそれも困るな。日によってスカート履きたい日と絶対に履きたくない日があるのはどうしてなんだろう。わからなくなってきた、私って、一体なんなんだ。」
などということを高校三年間通して悩んできた。
のちにパンセクシュアルとか、ノンバイナリーとか、ジェンダーフルイドとか。そういう言葉があることを知るのである。


ターニングポイントと大学受験

初めてカミングアウトしたのは高校三年生の頃。当時の担任の先生にだった。この経験が大きな転換点になる。
進路相談、先生と面談する機会が増えた。ある時ふと自分が抱えてきたジェンダーに関する生きづらさや違和感を先生にこぼしてしまい、それなら、と今の進学先に総合型で受験することを勧められた。総合型選抜は共通テストと、さらに自己推薦書と特色活動説明書、さらに大学教員複数名との面接が選考に加わる。「あなたの考えを自分の言葉で大学へ伝えて。きっと教員に響くものがあると思う。都市部に進学して様々な経験をするべき、本当にいろんな人と関わってほしい。」と背中を押してくれた。ポロッとこぼれた自分のアイデンティティを担任が執拗に拾う、というようなことはなく、ホッとした。私にとっての恩師である。
さて、志望校と受験方法が決まった。出願締め切り3日前であった。やるしかないという気持ちでいっぱいで、3日間必死だった。地元ないし通える範囲での進学を望む親の説得も同時並行である。家族が私のことをマイノリティだと知ったら絶望するだろう(小・中学生の時、夕飯中にレズビアンのドキュメンタリーをテレビで眺めていた時、“気持ち悪いね。あなたはこんなのにならないでね”と言われたくらいなので)と思っていたため、どうしても本当の想いを悟られたくなかった。だけどそれ以上に、家族はもちろん友人にも、誰にも明かしてこなかった自分を形成する核のような部分を言葉にする作業がひたすら辛かった。

本当に忘れられない3日間と終わりの見えない試験勉強。勉強は好きだったが、一日12時間以上何かとひたすら向き合う、それを何ヶ月もこなすのは正直言って気が狂いそうだった…などなどあって、もがき続けた受験期も無事終わり、無事に第一志望に合格する。もちろん志望校に受かった喜びはあったが、自分の核を誰かに読んでもらえた、その上で受け入れてくれた、ということがとにかく嬉しかった。

高校卒業。最後のホームルームで、クラスメイト一人一人が担任から卒業証書とメッセージを一緒にもらう時間があった。自分の順番がやってきたので、この人には特別お世話になったな〜、どんな事を言ってくれるのかな〜とわくわくしながら担任のもとに行くと、「自分らしくね」と。たった5秒で終わるやり取りだったが、この瞬間を鮮明に覚えていて、担任がこの人で良かったという安心と嬉しさと寂しさとでぐちゃぐちゃになってしまって、しばらく大泣きした。

そして、ドタバタと引っ越しを済ませ、大学入学。ここからは、先生からもらった「自分らしく」を原動力に大学生活を送ることになる。そして人生が一気に楽しくなる。小中高ずっと不安で押しつぶされそうだった君へ、今すごく楽しくて幸せだから、大丈夫だよ。

そのまま現在大学生として生きる自分について書き進めようと思ったが、ここで少し一息をつきたい。


後編につづく

いやそれにしても、このトピックについて書き続けるの、本当に疲れるな。いろいろな事を回想して、思わずネガティブになってしまいそうになる。
そこで、前編・後編に分けることにした。
次回は大学入学にあたって全く新しくなった環境のことや、自身の活動のこと、そして「自分らしさ」について話すことを予定している。
自分自身と向き合う心の余裕ができたら更新するので、公開日時はまだ未定である。

【つづく】


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