デザインにおいて「説明」の必要性と、ソレをする事が「大好きで嫌い」であるという事。

自分の普段、もやもやっとしている、動画やデザインの「説明」について考えを纏めようと思った次第です。
そうです、毒にも薬にもならない駄文です。

そして記事を読む際気を付けてほしいことは、あくまで過激な一意見で、思考の整頓であり、これは正しいことを言っていない可能性があるということは留意してほしいです。
まぁ、正しいことなんて生まれてこの方一度も言ったこと無いような気もするのですが。

そもそもwhy説明する?

動画やデザインに説明を求めるクライアントやディレクターがいる。
なんならそれを自らする人がいる。
自分はあれが非常に嫌いである。嫌いと言うよりモヤモヤする。

すごくモヤモヤして、心が苦しくなるのである。

もちろん自分自身、デザインについて問われれば答えるし、なんなら作るとき自分自身に動画を説明しながら動画を作る。

じゃあ何故説明する事が嫌いなのか。

多分2つなのでは無いかなと思っている。

①「デザインとは無駄を削るものであり、自分は極限までに無駄を削ったデザイン好きである」
②「その説明はユーザーに届かない、機能的に必要ない、デザイナー(作り手側)の自己満足であり、要するに無駄である」

無駄が嫌いである、そして説明する事すらデザイン(特にビジュアルデザイン)にとって無駄である。

この2つが自分の中で順序立っているから、説明をする事が嫌いなのだと思う。

だけど説明しながらデザインを作ること、これは好きなんです。
……えっ?????

私は説明が好きである。

「ああ、狂人だったか、まともな人間だと思ってたのに、もう2度とお前の文章読まねぇ! ふざけんな時間返せ!!」

と思った方待ってほしい。
他人に説明する事は嫌いけど、説明を付けながらデザインを作ることは好きだ、そういう人間です。

そしてここの感情の整頓の出来てなさが自分自身ですら、モヤモヤしていたことなのだと思う。

前述の通り、僕は無駄のないデザイン……スタイリュッシュなデザインが好きだ。

スタイリュッシュと言っても伝わりは様々であるから、ちゃんと言語化するなら「全てにおいて無駄がない」。さらにそれを噛み砕けば「全てにおいて、説明できる」「全てにおいて、言語化できる」という事。

「全てにおいて、説明できる」

自分はこういうデザイン。説明できない要素のないデザインが最高に好きなのである。
そう他人に説明することは嫌いなのに、自分で自分のデザインに説明をつけていく事は本当に本当に好きという気難しい人間だ。

ユーザーに伝わらないからデザイン納品時に説明はつけない。(例えばデザインや動画に「ここはこうだよ!」なんて一々テロップは入ってないし、入ってたらウザいとすら思う。そんなこと気にせず動画を見るし、気にしたく無い。)
だけど作るとき、すべての無駄を省くために自分自身にはめちゃくちゃ説明しながら動画を作るし、これが全部ピタッとハマった(と感じられた)瞬間がデザインをしていて最高に気持ちが良い、楽しいのである。

最高の自己満足であり、一生自己満足のままでいて欲しい存在、それが僕にとっての「デザインの説明」である。

全てを説明すること。そして妥協

「ごめん、俺の動画、本当にごめん」と思う事が多々ある。
というか日々の動画9割9分がそうだと思う。
納期に追われながら動画を作っているとつい手癖的に動画を作ってしまう部分がある。手癖で作ると早いし、ある程度見れるものになるからそうしてしまう。

1週間もしてから、後から動画を見返すと「ああ、ここ手癖」とか「ああ、ここ思考停止プリセットのまま」とかめちゃくちゃ良くある。
(個人的豆テクだが、この時自己嫌悪せず、自分の動画にちゃんと「ごめんなさい」するのが精神の振れ幅を減らして、コンスタントに仕事をこなす上で大事だと思う。
八百万信仰、擬人化精神万歳である)

そもそも動画を全部説明するってなんだ?

こう思った時。動画というものをブレイクダウンして考える必要がある。

今回は簡略化するためにモーショングラフィックスで説明する(以後、あくまで個人の捉え方)
モーショングラフィックスとは「モーション」と「デザイン(グラフィックス)」分けられ。

モーションとは、と「時間」と「量」と「緩急(イーズ)」と「間(空白や緩い時間)」であり
デザインは「色」と「形」と「素材(テクスチャ)」である。

さらにデザインの中の「形」をブレイクダウンすると
形とは一つ一つの「パーツの形、サイズ」であり画面全体で見た時の「レイアウト」であり「空間」である。

さらに「テキスト」の要素が加わった場合「フォント」「フォントサイズ」「カーニング」の要素が加わる。

これらを全てを説明できれば個人的には動画は7割型説明できるものになっていると思っている。

「ここはこう見せたい伝えたいから空間とってる」
「ここで意識を集中させたいから時間で一瞬間をとってさらに前シーンとコントラストつけるためにサイズを抑えて、明るく余白の多い画面する」

こういう説明が時間軸ごと、画面ごとに無限に積み重なる。

そう、だから動画制作とは途方もなく。早くなければいけないのである。それでも納期内にやり切れないから妥協が生まれるし、たとえ期日がたくさんあってすら要素を見落とす、「なんとなくこういう流れだから、こうした……」と無意識の内に癖を入れてしまうことはとても良くある。

結局

ここまでデザインの説明をすることを否定しておいてなんだが、なんだかんだ説明テキストを添えておいたほうが、初稿でOKもらえる率は高い気がする。ユーザーには説明は添えられたりしないのに何のための説明だ? なんて内心葛藤をしながら、コミュニケーション工数を割くことが惜しく、説明をつける。
ある意味それでスムーズに事が運ぶならそれはそれで意味はあるとも言える。

もし、みなさんの説明に関する見解があれば教えてほしいです。

自分はどちらかと言えば、説明はつけず提出して
「見てわからない? じゃあ伝わらないので直します!」という感じで仕事をすることが多いです。

伝えたかった事。

この記事で伝えたかったのは、どちらかというと「説明が嫌い」というより、どちらかと言えば「隅々まで説明できるデザインを作れると最高に楽しいぞ!」ってことが伝えたかったです。

そしてそれにはやり方があります。
すべての要素をブレイクダウンしてって、「どうしてこれはこうなのか」「ここはこうだからこう。」「ここは感動的にみせたいからぼかしを使って、細かい明朝、カーニング開いていってテキストで感動を演出する」「この案件はかっこいい案件だから切り替えはレンズディストーションとグリッチをメインにスタイリッシュに見せる」とか自分自身に説明をしていくこと。

すべてが何かの思し召しのように嵌る瞬間があったりします。

全部の要素が連鎖して成立している、ぷよぷよの大連鎖全消しのような気持ちいいデザインが年に1回ぐらいはあったりします。
これが最高に気持ち良くてデザインの沼に嵌っていく。

デザインは『設計』だと自分は思っています。
(アールヌーヴォーは好き、アールデコはもっと好き)

設計図(自分の頭の中)に説明がいっぱいあっても、組み立てたもの(デザインそのもの)に説明のつける必要はないと僕個人は思っています。それは蛇足というか無粋というか。

動画を見る側はエモーショナルに受け止めます。そのエモーションに自分の動画をぶっ刺すための説明を込めてデザインを作りたいと思っています。
100熱量を込めれば5ぐらいは伝わると信じたいと思っています。

イチカワ。

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