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おかあさんたち(複数形)に会いにいく旅をはじめます、の巻。

ふと、思いました。

母が生きていてくれたら、わたしは、もっとらくちんに生きていられたのかもしれないなあ、って。



みなさまおこんにちは〜。
ときめきとわくわくをサポートするあなたのドーパミン、心理カウンセラーのイチカです。

ここんとこ外に向いていた意識がまた、自分に戻ってきています。

わたしのなかのわたしが、なにかをうったえかけてきています。

カウンセラー仲間とのカウンセリング実習で指摘してもらったことがきっかけでした。



わたしは、幼少期に母を亡くしました。
そして、それは仕方のないことだと納得して生きてきました。

生まれたと同時に母を亡くす子もいる。
母と暮らしたことのない子もいる。
わたしは少なくとも8歳まで母と暮らした。弟は6歳まででしかない。わたしは弟より恵まれている。
わたしは恵まれている。
そう思わなくてはいけない。

そう言われ続けてきましたし、そう言われたことだけを選択して記憶に残してきました。

「かわいそう」ということをいってくれる方には申し訳ないのですが、徹底的に距離をとってきました。

いまでもやっぱり、助けを求めるということをしないのはあかんことだなあ、と思いつつも、「詮無いこと」って思っています。

イチカ、考えても仕方のない事を考えるでないよ。
前を向いて生きるんだよ。
脳内になんかおばあちゃん仙人みたいな人を住まわせて、じぶんでそうやって、前を向こう前を向こうって生きてきました。

もちろん、心を閉じて感情が出てこないように、出てきそうになったら弱気なじぶんを殴って大人しくさせるかのように押し込めているので、くるしくなります。
そんなときは、心理学の本やブログを読んだり、素敵だと感じたカウンセラーさんに会いに行ったり、セミナーに行ったりします。

そのたびに何度も何度も、原因はこれかー!
これでわたしくるしかったんかー!
わーラクになったー!
って、ときめきとわくわくをとりもどしはするのですけれど。

ずっとひとりでした。

ひとり旅とかひとりカフェとかはだいすきなんですけれど。

仲良しであつまってたのしそうにしているひとたちを横目に、さみしいなあとか、うらやましいなあ、と感じる気持ちはありました。

でもなあ。
ひとは、つかれる。
ひとといるとたのしいけれど、つかれる。

この人はどう思っているのかな、どう感じているのかな。
ついついこうやって、他人を優先して、わたしをいないことにします。

わたしをどんどん失わせていって、わたしなどいなくても世界はまわる。そう感じます。

なくならないんです、この気持ち。

わたしなどによくしてくれるみなさまに、ごめんねぇ…と生意気で失礼なことをぬかしくさりますが。

なくならないんです、無価値感。

こまったなあ。

そんな気持ちを、お弟子仲間にカウンセリングしてもらいました。

彼女は、おかあさんみたいなひとに会いに行って、できたらハグしてもらったらいいよ、と言ってくれました。

えっ。

そうなのか。

わたしはまだまだ、母にこだわっているのか。

何度も何度もゆるしたり、手放したり、仲直りしたりしてきたつもりだったけど、まだあるのか。


そぉいえば、わたしは、母の葬式で泣けなかった。
赤ちゃんを終えてからこの方、人前で泣いたことがなかった。

こないだ恋人と別れる別れないのケンカをしてゆるしてもらえたときに声をあげて泣いたのだけれど、あのときはじめて「人間はほんとうに声を出して泣くんだ、小説や映画や漫画だけの話かと思ってたけど、あれはほんとうのことだったんだ」と感じたっけ。


そのカウンセラー仲間によると、わたしが人の輪に入っていけないのも、さみしくてもひとりが心地いいのも、大切なひとが突然いなくなる恐怖から癒されていないかららしいのです。
だから、じぶんから人と距離をとっているのだそうです。

勉強しましたし、教わったし、情報としては知っているのですが、まさかそれがじぶんのことだとは思ってもみませんでした。


たしかに、そうでした。
どんなひとのどんなアドバイスも、40年ちかく閉じ込めつづけてきた奥底には届かないし響かない。
わたしが叱ってほしいのは、導いてほしいのは、たったひとりだけなんですから。


彼女はすこし考えて、あの先輩はどうだろう、と名前を挙げてくれました。

ネットでは活動しておられなくて、心理学はご自身のお仕事に活かすためとおっしゃって、ゆったりと講座にいらしてた先輩。

わたしは、仲間がこうやって話を聞いてくれたうえで、具体的に方法を考えてくれることに安らぎを感じました。

そして、講座が終わった時にその先輩を追いかけてご挨拶させてもらって、Facebookでつながってもらっていた自分に快哉を叫びました。

✴︎✴︎✴︎

わたしはこれから、仲間のアドバイスの通り、母のような存在を感じられる女性とたくさん会うことをしていきます。

わたしはまだまだ、癒されていません。
傷がたくさんあります。

誰かと比べてわたしは恵まれているなどと無理をしてきましたが、わたしはただいきがって無理をしているだけの弱い人間でした。

母がいてくれたら間違いなく今よりらくに生きていけていたはずです。
母にいきていてほしかったです。

母親に悩まされている方の話をたくさん、たくさん耳にしてきました。
だから、母が亡くなっているわたしは幸福なのかもしれない、と思い込もうとしていた時期もありました。

でもそんなことは決してない。
悩まされていても、それは愛ゆえに悩むのですね。
おかあさんがだいすきだから、くるしむのですね。
こどもは、おかあさんにいてほしいと強く強く感じるものなのですね。

母の存在をなかったことにしてあきらめることは、母であるじぶんをも否定することであったので、わたしは恋人といるときだけが安らぎでした。ですから、こどもたちに対して生きていていいのかどうか、疑問に思う毎日でした。

でももう、母であるじぶんにも、娘であるじぶんにも許可を出していこうと思います。
やり方はいつものように、じぶんほめしかありません。
おかあちゃんのわたしもほめる。
むすめだったわたしもほめる。

きっと、長い道のりなんだと思います。
だから、みなさん、わたしが弱音を吐いたら、わたしを助けてください。
こころのどこかでもいいし、直接SNSでもいい、イチカがんばれ、という声をください。
わたしがずっとほしかったのは、その声なんです。お願いします。



わたしがいちばん気をつけたいのは、だれかひとりにどっぷり寄りかからないことです。
たくさんの母なるひとに会いにいこうっと。

おかあさんがたくさんいるわたし。
ちょっと想像つかないな。

引かれないかな、薄気味悪がられないかな、というこわさがめっちゃあるけれど。
お茶飲みながらお話をしてくださーい、という気楽な気持ちでいってきます。


わたし、がんばってたんだなー。

そっかー、

わたし、がんばってたんやなー。


当分わたし、依存に落ちます。
甘えさせてもらうことを優先します。
与えようとすることをやめます。
カウンセリングでも、クライアントさんに与えようとするの、やめます。

そのかわり、しっかり、聞きます。
あなたのおはなしを、じーっくり、聞きます。
アドバイスなどきっとできません。
きっとみなさんのほうが、わたしよりものごとを知っておられるはずですもの。
こんなんですけれど、よかったらぜひ聞かせてくださいね、あなたのおはなし。











おわるんかーい!
その仲間のカウンセラー、教えてやー!
って思ったんやろ。

しゃーないな、教えたるわ。

https://kinaco215.hatenablog.com/entry/2020/07/04/214336

K!naCoちゃんというカウンセラーです。

ちなみに、彼女はわたしの娘にそっくり。娘はわたしにそっくり。だからK!naCoちゃんはとっても美人。おほほ。

本日のドーパミン

●押し込めた感情に気づかないまま40年近く経つこともあります。
●それに気づくとなんからくになります。
●どうやって気づくのかというと、やはりひとに話を聞いてもらうことです。
●恋人はひとり派のイチカですが、カウンセラーは多数派です。どっぷり46年もの怨念と全身でおおいかぶさって、迷惑をかけたりするのはイヤだもの。ここは恋多き軽いオンナみたいに行きます。BGMはなににしようかしら、 ( ¤̴̶̷̤́ ‧̫̮ ¤̴̶̷̤̀ )ウフフ 。
●おかあさんカウンセラー募集してます。
●おかあさんカウンセラー情報も募集します。
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読んでくれて、ありがとう。

ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。