「きみを嫌いな奴はクズだよ」と「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」の関係考察
木下龍也さんの「きみを嫌いな奴はクズだよ」と木下龍也さんと岡野大嗣さんの共著の「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」ってちょっと繋がりがあるんじゃないかなと思ってて。というのも私は「玄関~」を先に読んで後から「きみを嫌いな奴はクズだよ」を読んだのですが、「玄関~」でも使われている単語をよく見たんですよね。いくつか引用させていただきます。
言葉に繋がりがあるなと感じたものです。最初のは「覗き穴」、2番目は「Google」、3番目は「蜂」と「夢」、4番目は「ブルーシート」(「レジャーシート」と同一と考えます)。
これらは言葉の繋がりですけど内容、たとえば恋愛の短歌の熱量とか温度とか、になんとなく繋がりを感じるものもあって、おおっ!と思いました。……おおっ!と思っただけなんですけどね……解釈はまだできていない……。たとえば上記の引用した歌だと木下さんの歌と岡野さんの歌が呼応してるので、わざとだとしたら「玄関~」は二人の境目をあえて曖昧にしようとしてるとか……?「玄関~」って木下さんの歌は木下さんだなぁという感じなんですけど岡野さんの歌は岡野さんにしてはめずらしい……(ものもある)という印象で……。うーん、ここら辺のことを何か解釈(こじつけ)できないかなと思ってるんですけど難しいですね……。
あとこれは「きみを嫌いな奴はクズだよ」を読む前からずっと気になっていたもの。
連作のタイトルです。本を買う前から目次で見てて「これは……!」と思っていました。
この二つは明確に繋がりがありますね。「僕の身体はきっと君にふれるためだけにある」にきみの情報を足して短歌になっている。「君の身体はきっと僕にふれられるためだけにある」。この足された部分が重要なんじゃないかなと思っています。「玄関~」のために足されたんだもんな……。「僕の身体はきっと君にふれるためだけにある」は僕は自身の価値をあまり感じていなかったり君が生きる理由になってたりという僕の君への強い想いを感じます。そして「君の身体はきっと僕にふれられるためだけにある」は君もそうだろ?というようなニュアンスを感じますね。ここがなー、重要なところだと思うのよなーー。
あと個人的に「きみを嫌いな奴はクズだよ」は「玄関~」の高校生KとOが好きそうだなと思いました。読んでそうというか。「『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』展」で「玄関男子たちのための選書」というコーナーがあって、作中の男子高校生KとOが読んでいそうな本が置かれていたそうですが、そこに入っててもおかしくないなと思ったり……。
あとは「きみを嫌いな奴はクズだよ」はあとがきが物語調なんですけど、その内容が私が「玄関〜」を読んでこういう話じゃないかなぁと思っていたのととても似ている内容だったんですよね。驚きましたし、「玄関~」ってこの「きみを嫌いな奴はクズだよ」から着想を得て生まれたんじゃないかなぁと思ったりしました。もしそうだったら私の解釈も合ってることになる、かも……?ですがこればかりは分かりませんね……。全然関係ないかも……。時系列でいうと一応辻褄は合います。「きみを嫌いな奴はクズだよ」は2016年5月に発行、あとがきが書かれたのは2016年3月1日とあります。「玄関~」は2016年から準備を始めたそうですので……(「短歌研究」2022年8月号より)。まあ妄想の域を出ませんかね……。
以上、「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」を読み解くために作者の他の歌集を読んで関連付けて考えてみても楽しいなって話でした。
そうじゃなくても「きみを嫌いな奴はクズだよ」はすごくいい歌集ですので未読の方はぜひ!
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