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牛乳受け箱の秘密

まだ小学生の頃、とても狭くて古い借家に住んでいた。家の持ち主は祖父(父の父)で、母は毎月きっかり1万円を祖父に渡し、帳面に記録を残していた。6畳2間の家に家族4人が暮らしていた。

その家は長屋造りで、4家族が住める構造。道路に面した隣の家だけはしばらく空き家になっていた。以前は、「めぐちゃん」家族が暮らしていた。わたしより3つ年上のめぐちゃんとそのお兄ちゃん、お母さん、お父さんの4人が。わたしたちはよく一緒に遊び、家の裏手にある海にも泳ぎに行った。

しばらくしてめぐちゃん家族が家を建てることになり、同じ町内だけど、車で15分はかかる場所に引っ越してしまった。それから数年、めぐちゃんの家は空き家のままだった。

その家の玄関前には、牛乳瓶を入れる木製の箱がかかっていた。配達される牛乳を受けとるための箱だ。ブルーのペンキで塗られ、「酪農牛乳」と白い文字で書かれている。文字の下には牛が草を食んでいる絵。雨風に晒され、薄汚れている箱だった。

ある日、めぐちゃんの家の前で遊んでいたとき、何気なくその箱を開けてみた。すると、そこには千円札が3枚折りたたんで入っていた。その瞬間、心臓がゴトンと大きな音を立てた。

当時、千円札を目にするのはお正月にもらうお年玉くらい。自分の小さな財布には小銭しか入っていなかった。そのお札をじっと眺め、「どうしたものか」と考えが頭の中でかけめぐった。めぐちゃんのお母さんが牛乳屋さんに支払ったお金なのだろうか。だったら、牛乳屋さんは集金を忘れたのかもしれない。もしくは、誰かがただお金を隠していたとか。

数分悩んだけれど、わたしはそのお札をズボンのポケットにそっと入れた。近くで遊んでいる弟に気づかれないように。家に帰るとすぐお札をティッシュに包み、ランドセル前ポケットのファスナーが閉まる場所に入れた。そして、そのことを誰にも話さなかった(と思う)。

その10年後、我が家も家を新築することになった。引っ越し先の斜め前の家は、なんとめぐちゃんの家だった。めぐちゃんは結婚したものの2人の子どもを連れて離婚し、実家に戻ってきていると聞いた。めぐちゃんのお母さんとは時々、家の前の道で顔を合わせることがあった。

いまとなってはあのお金がどこへ行ったかも覚えていないし、実際に使ったのか、結局母に顛末を話したのかすら覚えていない。だけど、めぐちゃんのお母さんに会うと、あのときのことが思い出されて、いまでも胸が少し苦しくなる。



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