短編小説_ふゆちゃんのカイリュー #あの失敗があったから


やっぱり、ふゆちゃんがカイリューを引き当てたのが最初だったんだと思う。

新品のカードは角がぴったり重なってすぐにめくれないから、わたしとふゆちゃんは「あー」とか「もう!」とか言いながらコンビニの駐車場でパッケージを破る。その数秒のロスで運命が大きく変わってしまうみたいに慌ただしく中身を確認すると、四枚目で声が上がった。勝ち取ったのはふゆちゃんだった。

「すごいすごい! カイリューのキラカード入ってた!」

興奮気味のふゆちゃんの声に適当な相槌を打ちながら、わたしは胸が鳴るのを抑えてもう一度自分のカードを見直す。これもこれも持ってるやつ、あ、ナゾノクサだ。で、最後ももうもってるやつ。

わたしが引いた運命の中にキラキラの一枚は入っていなかった。

ふゆちゃんは残りのカードを確認するのも忘れてカイリューを眺めている。横目で見るとカードの表面は無数のダイヤ型に輝き、その中を黄金色の羽が飛び回る。ふゆちゃんの瞳もカイリューのようにキラキラだった。

わたしは自分のカードをさっさとかばんにしまい、一緒にコンビニで買った肉まんにかぶりついた。中の具材があつあつで頬張った拍子に舌をやけどしたけど、それでも構わずぱくついた。

わたしが先に引けると思ったのに。なんでかわかんないけど、絶対そうだと思ったのに。

「あんまん冷めるよ」と言っても、ふゆちゃんは生返事しかしない。勝者はあんまんになど興味がないみたいだった。


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水曜日の放課後。わたしは肉まんを、ふゆちゃんはあんまんを、そしてそれぞれが選んだゲームカードのパックをレジに差し出す。名札に「芥川」と書いた店員のおじさんから商品を受け取ったら、コンビニの駐車場にしゃがみこんで「せーのっ」で袋を開ける。それがふたりの週に一度の楽しみだった。

ふゆちゃんは小学校ではじめてできた友達だった。しゃなりと髪が長くて、色が白くて、えくぼができるところにほくろがある女の子だった。ほんとうは「ふゆ子」という名前なのに、「子」の字がぬるぬるして嫌いだからと言って「ふゆ」と名前を書く女の子だった。だからわたしは彼女をふゆちゃんと呼んだ。ふゆちゃんはわたしをなっちゃんと呼んだ。

水曜日以外の平日、ふゆちゃんはピアノにスイミングの習い事、それに塾通いが二回あって、遊べる時間は多くなかった。だからわたしは毎月の少ないお小遣いを増やすためにお母さんにくっついて歩き、約束の放課後のために備えた。

コンビニから帰ったら鍵っ子のふゆちゃんの家に上がり込む。彼女の家はうちと違っていつも綺麗に片付いていて、白い花瓶には毎週違う花が飾ってあって、おやつもマフィンとかカヌレとかデパ地下で売っているようなものばかりだった。ふゆちゃんはそれを上手に半分こして、クマの模様がついたお皿に乗せて嬉しそうに差し出してくれる。ふゆちゃんは優しい女の子だった。

あるときは金色のカップに入ったアイスクリームが出てきたこともあった。ブルーベリー味とチョコミント味を両手に持って、ふゆちゃんは困ったようにふたつを見比べて言った。

「なっちゃん、チョコミント食べられる?」
「うん、食べられるよ」
「すごいなぁ、わたし、なんかツンとする気がして苦手なの」
「えーそんなの全然しないよ。でも苦手ならわたしがチョコミント食べるよ」
「うん、ありがとう」

ちょっと得意になって受け取ったチョコミントの蓋をとると、爽やかなミントグリーンに大ぶりのチョコチップが散りばめられている。わたしはそれを大げさに「美味しい!」と言って食べた。大人用の辛い歯磨き粉も使えるんだよって言いたかったけど、遊びはじめたら忘れてしまった。

ふゆちゃんの家は時々お母さんがいて、お父さんはいつもいなかった。いるにはいるらしいけど会ったことがなかった。運動会や授業参観にも来ないし、遊びに行っても家にいたことがない。クラスの女の子が「それ、ベッキョっていうんだよ。ふゆちゃんち、お母さんとお父さんが仲良くないのかもね」と言っていて、わたしはその子の大人びた口ぶりに「ふうん」と相槌を打った。


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カイリューのキラキラカードを引いた日からずっと、ふゆちゃんは上機嫌だった。笑ったときにだけできるえくぼがいつでもほっぺたにあって、代わりにほくろはきゅっと小さくなっている。長い髪の毛先がふわふわ踊り、いつもは恥ずかしがって授業で発表なんてしないのに自ら手をあげて発言する。そうして平日と休日が交互に過ぎていった。

次の週の水曜日、いつもの通りランドセルを置いたら公園で落ち合う約束をしてそれぞれの家へ別れた。しかし先週と違ってわたしの足取りだけが重い。

あのあともふゆちゃんはカイリューを何度も眺めたんだろう。レアカードは下の部分を持って左右に傾けるとキラキラ輝くから、飽きずにずうっと見ていられるね、と言ったのはふゆちゃんだった。わたしもそれにうなずいて、来週は絶対に引こうね、と約束したのだから。家に帰ると、机の上でカードたちが裏も表も気にせず散らばっていた。

かばんを小さいポシェットに持ちかえてふゆちゃんと待ち合わせ、コンビニに行く。弾むように歩く彼女の足は軽く、カイリューを持ってるふゆちゃんとわたしとではもうまるで違ってしまったみたいだった。

ぶすくれたわたしとにこにこのふゆちゃんがカード売り場を目指す。店員のおじさんは今日も芥川という名札をつけている。わたしはふいに言った。

「もうカードはいいよ、なんか子どもっぽくない?」
「えっ、」

ふゆちゃんの声が固まる。わたしはできるだけ自然に「やっぱり子どもっぽいよ。ね、だから今日はこっちにしようよ」と言って手前の棚に置いてあった板ガムを手にとった。眠気覚まし、すっきり爽快! と書かれた真っ黒のパッケージは見ているだけで鼻がツンとしたけど、なんでもないふりをして差し出す。ふゆちゃんは見るからに困惑していた。ふゆちゃんはミント味が苦手な女の子で、わたしはそれを知っていたから。

自分でも自分が言ったことの理由をまだ知らなくて、ほとんど反射的に出た言葉だった。黄色い西陽がふたりの影を溶かし、口をはくはくさせていたふゆちゃんのえくぼに滑り込む。

「うん、いいよ」

ふゆちゃんは、ゆっくり頷いて笑った。顔の真ん中をくちゃっとさせたその表情で、ポシェットの肩紐をきゅうと握り、右足のつま先で床をトントンとついてから、むんずと黒い板ガムを掴んだ。そのまま棒のように腕を伸ばしてレジに差し出し、ついでにあんまんも一緒に買う。

ほんの数分のことだったのに、ひどく長い時間そこに立っていたみたいにわたしの膝は二度揺れた。「外で待ってるね」と言われて、今度はわたしが口をはくはくさせ、うつむいた先にできた影を見つめていた。

「お次のお客様どうぞ」

後ろに並んでいると勘違いした店員さんに声をかけられ、慌てて手にしていた板ガムを差し出す。会計が終わったあとに肉まんを頼み忘れたことに気がついたけど、戻ることはしなかった。

急いで外へ出ると、いつもカードを開ける駐車場の隅はがらんとして誰もいない。ふゆちゃんがいない。辺りを見回すと、入り口から一番遠い駐車スペースに紺色の車が止まっていて、知らない男の人が立っている。そこにふゆちゃんもいた。

「ふゆちゃん!」

角のある板ガムを握りしめたまま駆けていく。とっさに叫んだ名前で、ふゆちゃんと、知らないおじさんも一緒に振り向いた。近づいてみるとおじさんはとても背が高くて、お腹が少し出っ張っている。学校で一番怖い教頭先生くらい大きい。へんなひとだったらどうしよう、と考える頭が足を遅くするけど、わたしはぐっと歯を食いしばった。

「なっちゃん、」

口の中で飴玉を転がすような声に呼ばれて、わたしは急に“ごめん”と思った。心のなかで何度もつぶやく。ふゆちゃん、ごめん、ごめんね。

「ふゆ子のお友達かい?」

大きなおじさんが言った。背の高い人の声はまるで空から降ってくるみたいで、教頭先生に似ていると思ったけど、教頭先生はいつも手を膝について空から降りてきてくれるから違うなと考える。

「ふゆ子はこれから習い事なんだ。また遊んでやってね」

大きなおじさんはわたしが口を開く前に言い切って、ふゆちゃんの手をとった。わたしはそれで「このひとがふゆちゃんのお父さんなんだ」とわかった。おじさんはずんずんとふゆちゃんを連れて行く。

ふゆちゃんは水曜日だけは習い事がないんだよ、ふゆちゃんは「ふゆ子」って名前が嫌いなんだよ、ふゆちゃんは毎週わたしとカードを買うんだよ。おじさんはそんなことも知らないの、と言いたかったけど、車に乗る前に何度も振り向いたふゆちゃんが「ごめんね」と、あのくちゃっとした顔で言うから何も言えなかった。

紺色の車はわたしを残してコンビニから大通りへ消えていく。左手の中で黒い板ガムがひしゃげていた。


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それ以降、ふたりに水曜日は思い出になった。

あのあと、ふゆちゃんはすぐに転校した。クラスの女の子が「ふゆちゃんのお父さんとお母さんリコンしたらしいよ」と話しているのを聞いて、やっぱりあのとき言ってやればよかったと歯を食いしばるけど、わたしが何を言ったってだめだという予感もあった。

そう遠くない場所へ引っ越したらしいふゆちゃんだが、学校で開いた即席のお別れ会以来会うことはなかった。しかしクラスの女の子が高校で再会したらしく、時々思い出すように彼女のことを耳にした。

わたしたちが26歳になった春、ふゆちゃんが会社の上司と結婚したと聞いた。わたしは婚約していた同い年の男に浮気されて捨てられた直後だった。しかし不思議と寂しさも悔しさもなくて、幼い頃のような、ほとんど恋とも変わらない複雑さでわたしを縛っていたものは、もうすっかりなくなっているとわかった。

ふゆちゃんの結婚を知った帰り道に、お気に入りの洋菓子店でレアチーズケーキとピスタチオのタルトを買った。それは失恋の慰め会か、それとも結婚の祝賀会か、わからないけどそうしたかった。


「なっちゃん、昨日はごめんね。あのガムもう食べちゃった?」

ふゆちゃんがお父さんに連れられていった日の翌日、ふゆちゃんはわたしに聞いた。まだ食べてないよと言おうとして、少し考えて、わたしは代わりに言った。

「うん、食べたよ。でもすごっく辛くてね、すぐ出しちゃったよ」

「えーなっちゃんでも?」

「うん、まだ舌がひりひりする」

そう言ってべっと舌を出してみせると、ふゆちゃんがくすくす笑う。

「やっぱりカードのほうがずっといいね。ずっとずーっと楽しいよ。ね、ふゆちゃん、また今度カイリュー見せてね」

それにふゆちゃんがなんと返事をしたのかよく覚えていない。でも何度も「ごめん」と謝るふゆちゃんにこれ以上「ごめん」と言わせたくなくて、ふゆちゃんにキラキラのカードが一枚でも多くくるように願いながらそう言った。


ねぇ、ふゆちゃん、どうか幸せになってね。




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