ミルクティーに挑む

「類! 帰ってきてたのにどうして知らせてくれないのよ!」

開口一番にそう叫んだ彼女を見て、店内に客がいない時間帯で本当に良かったと思う。

いくら場末の喫茶店とはいえ、やはり静かで落ち着いた雰囲気を気に入って通ってくれている常連は幾人かいる。

そのお客たちに顔をしかめられるようでは、この先商売はやっていけない。

しかし幸いなことに時刻は昼食どきを終えた午後二時。休息の時間にはまだ少し間があった。

「亜里紗、学校は?」

「そんなのサボってきたわよ! お母さんから類が帰ってきてるってメールが来てたから、飛んできちゃった」

彼女、亜里紗は一息ついてカウンター席に荷物を置き、その脇に腰かけた。

亜里紗の母親に出くわした覚えは一向にないのだが、この店は商店街の一角に構えている。買い物ついでに覗いたらじいさんの代わりに店番をする俺がいた、と言ったところだろう。

しかし誰にも言わずにこっそり帰ってきたというのに、亜里紗の母親も人が悪い。よりによって学校すらもサボってきてしまうような勝気な娘に教えてしまうとは。

「ねぇ、どうして連絡してくれなかったの? そもそも留学が終わるのって来年じゃなかったの? アメリカにはいつ戻るの?」

「そんな一気に聞かれても答えられないって」

俺は手元にあったコーヒーカップを磨く手を早めながら、亜里紗になんと言い訳したら納得でしもらえるかを考える。

当の亜里紗は頬を膨らませて、俺をじっと睨んでいる。元々の幼顔が、より一層幼く見える。

「じいさんに呼ばれてね、ちょっとだけ帰ってきたんだよ。でも明後日にはまた日本を発つ」

「それならそうと、初めから連絡をくれたら良かったじゃない」

濁そうと思っていた最初の質問を突き付けられる。俺が黙っていると「もう!」と亜里紗はむすっとした顔で拗ね出した。

しかし視線は壁や窓の方へ行ったと思うと、チラチラと俺の元へ戻ってくる。

亜里紗は昔から勝気な性格だけど、決して強情でもワガママでもない。人よりも少しばかり短気な癖に、割に素直なのだ。

「連絡しなかったのは、こんなに長くいられるとは思わなかったからだよ。本当は来るつもりもなくて、誰にも知らせてなかったんだ」

そう説明すると、亜里紗はわずかにバツが悪そうな顔をしながらも、「そっか」と呟いた。

陶器のカップやソーサーを一通り磨き終え、今度は豆の状態を確認する。我が喫茶店の命は、なんといってもこだわりのブレンドコーヒー。

これが古くからこの店が潰れずにやっていけている要因の一つだ。手前塩だが、そんじょそこらの流行りの店には負ける気がしない。

どこに出しても恥ずかしくない、うちだけの自慢のブレンド。俺は幼い頃から、このコーヒーを飲んで育ってきた。

独特の深い風味と酸味のバランスがこの上なくマッチした一品。

「…コーヒー、飲む?」

先程から黙ったままでいる亜里紗に問いかけた。わずかばかりだが、声が震えている。

しかしそんなことは気にも留めず、口を尖らせて亜里紗が答える。

「子供舌の私がブラックコーヒー飲めるわけないでしょ、意地悪」

でも喉乾いたから何か飲み物ちょうだい、と甘えてくる。

俺は安心して、自分の分にはコーヒーを淹れ、亜里紗には別のものを作る。

亜里紗は、苦いものが苦手だ。ピーマン、ゴーヤ、グレープフルーツ、そしてコーヒー。苦味を持つ様々な食べ物を、彼女は避けながら生きている。

本当は我が店で扱っているコーヒーは、とても飲み口がよく、苦味もそれほど強くはない。どちらかといえば飲みやすい部類に入るだろう。

しかし亜里紗は頑なに避け続けていた。

それはどうやら今でも同じらしい。

「類、アメリカでコーヒーの勉強するの、楽しい?」

「楽しいよ、新しいことだらけで毎日新鮮」

そう答えると、亜里紗は「ふうん」と興味なさげに言った。

亜里紗は昔から、近所のお兄さんとして俺を慕ってくれている。信頼を寄せられている自負もある。

しかし、それだけでは足りないのだ。

「はい、紅茶なら飲めるでしょ」

「わ、ミルクティーだ!」

砂糖とまろやかなミルクをふんだんに使ったミルクティー。亜里紗に差し出すと、彼女はこくこくと喉に流していく。

美味しそうに飲むその姿に、うっかり嫉妬しそうになった。

「ね、類はいつになったら帰ってくるの?」

そう問う彼女に、今度は曖昧に濁すためではない笑顔を浮かべた。

これは、俺からの宣戦布告。

亜里紗が初めて美味しそうに飲むコーヒーが淹れられるようになるまで、帰ってくるつもりはない。

時々、彼女がひとりで大人になってしまっていないか、確認する以外には。

ブレンドされた豆をゆっくりひくと、香ばしく甘い香りがした。


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