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【短編小説】木枯らしと猫

夜10時過ぎになると聞こえる声。

ここ最近は毎日だ。11月の寒空の中で、せっせとあがる唸り声と悲鳴。彼らは何を思って争うのか。

お風呂から上がって自分の部屋に戻ると、今日も猫の鳴き声が聞こえる。引いておいた遮光カーテンを少しばかり開けてみるが、暗くて何も見えない。ただ聞こえる鳴き声の大きさが僅かに増しただけだった。

私の住むマンションには、元から何匹かの野良猫が住み着いている。中でも一番体格が良いのが、薄い茶色と白のトラだった。

しかし11月に入ってから、それとは別に同様の大きさ、もしくはそれ以上の猫を見かけるようになった。真っ白の雪のような毛並みを持った猫。

それからいつからか聞こえるようになった、二匹の悲鳴。

「今日もすごいな…」

姿は見えないけれど、声だけで想像がつく。繰り広げられる壮絶な縄張り争い。茶色の縞模様と雪のような白い毛に、何度か赤が散っているのを見たことがあるのだ。それはなんとも生々しく、頭にこびりついてきた。

本能的に耳を塞ぎたくなる。

一旦部屋を出ようとした時、ふいに一際大きな悲鳴が上がった。甲高いそれはどちらのものかは分からない。ただ嫌な予感だけが私の中を駆け巡る。

バタバタと上着を身に付けて家を出た。母が何か言っていたが、構わず扉を閉めてしまった。

夜の寒さが無防備な頬を撫でた。ざらついた感触の思わず身を震わせる。街灯のない広い空間が広がり、目的のものが見つからない。声の限りでは、近くにいるはずなのに。

ようやく目が慣れ始めた頃には、もう二匹の声は聞こえなくなっていた。この辺りにはいないのだと見切りをつけて、違う場所へ移動する。

かじかんだ手を暖めながら歩き回っていると、猫よりも大きな黒い影を見つけた。その姿に思わず立ち止まる。確信はないけれど、あの猫背は。

私が声をかけるよりも先に相手が私に気が付いた。振り返った顔がぼんやりと浮かび上がる。

「なにしてんだよ、こんな夜中に」

「そっちこそ、なにしてんのよ」

私がそう問い返すよ、後ろに向けていた視線を共に戻した。その先を追うと、小さな塊がある。

色の判別はできないけれど、薄い縞模様だけはかろうじてわかる。猫がコンクリートの上で無防備に横たわっているのだ。

私たちが近づいても、ピクリとも動かない。その姿がそこで起きたことのすべてを物語っていた。

片方が勝てば、片方が負ける。簡単なことだ。彼らにはきっと、簡単なことなのだ。

唇を噛み締めると、ほんのりと嫌な鉄の味がする。

「もう一匹はたぶん、どっかに行ったんだと思う。俺が来た時にはコイツしかいなかった」

「…そっか」

相手がぼそぼそと呟くように発する声を拾い、言葉を返す。

決して私の目を見ることもないし、私も決して隣に並んだりしない。バカだなと思いつつも、体は動いてくれないのだ。

私たちは真正面から向き合ったりできない。自分の思いを、相手にぶつけたりできない。いつもいつも、自分が傷つくことを考えてしまう。嫌われることを考えてしまう。

本能から少しばかり離れて発達してしまった思考は、時にアイツと対等になろうとする気持ちにブレーキをかける。なのに、中途半端で宙ぶらりん。お互いがそこにいることを分かっているのに。

アイツがそっと横たわった猫に触れる。その手つきは優しく、労るようだった。いつもそうだった。優しくて、優しすぎて時々不安になる。そんなの、言い訳だと知っているけれど。

ぐっと唇を噛み締めて言葉を探す。アイツとの距離ができてから、ずっと探している言葉。

相変わらず風が頬を撫で、茶色い毛を優しく揺らしていた。

「ごめん」

私が何かを言うより先に、やっぱりアイツが呟いた。目が合わなくても、その表情が分かる。

何も言えない私を許すように、その声はやっぱり穏やかだった。

逃げていたのは、私の方。

アイツを思うようになって、勝手に気まずくなって離れていったのは私の方。先に背を向けたのは、私の方。

そろりそろりと両足をぎこちなく動かして、私はアイツの隣に座った。

一瞬だけチラリと私を見て、アイツは目を丸くする。どう視線を合わせて良いのか分からない、そんな様子だった。

いつか、昔みたいに戻れたら聞いてみよう。さっきの『ごめん』は、何を意味していたのか。そして謝るのは自分の方だと言おう。

アイツと同じように手を伸ばして、猫の背に触れてみる。まだ温かで、血が通っているようだった。



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