【小説】君の陳腐な言い訳に
#打倒5月病 をテーマにしたオリジナル小説です。
ほとんどが男女の痴話喧嘩です。
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「君はいつもそう。大事なことを言葉にしない」
私は言った。それも声を大にして。
放たれた言葉を誰よりも自覚している大地は、目つきの悪い顔を俯かせた。怒っているのではない、人相に似合わずとても焦っているのだ。
大地がうろたえることをわかって、あえて私は言った。大事なことだと思ったから言った。もう隠しておけないと思ったから言った。
小柄な体に似合わない私の少し低い声は、いつも誰かを威圧し、そして水の中に沈むように黙らせる。キツイ性格なのはもうとっくの昔に自覚していたけれど、それでも言ったのだ。
すっきりしながらも、私は僅かな後悔に苛まれていた。
うららかな春を過ぎ、五月も半ばにさしかかっている。バタバタした季節が終わり、私は早くも五月病になり始めていた。この時期はなぜか訳もなくダルい。
大地には部屋の片隅には私の化粧品を並べた棚があって、いつ来ても化粧ができるように準備がしてあった。その下のカラーボックスには普段は着ない可愛らしいパジャマやら、お出かけ用のワンピースやらが入っている。
その隣にひっそりと大地のタンスがある。しかし中身はほぼ空っぽに等しく、仕舞われるはずの洋服たちは脱衣所のカゴの中で死んだように眠っている。
申し訳程度に洗われたTシャツだけが、不器用な私の手によって畳まれていく。そんな最中、1週間後が締め切りの仕事にかじりつく大地に、私は言ったのだ。
言葉が部屋の中を満たし、しばらく沈黙が訪れた。大地は何も喋らない。否、喋れないか、もしくは必死で言葉を探しているのだろう。
こんな時、私はいつも自分のせっかちな性格を恨むことになる。せっつくように「何か言ったらどうなの?」と追い討ちをかけ、余計に大地を威圧してしまった。
端から見れば私の態度も大地の態度も見た目とは正反対で、きっとコントでも見ているように笑えてくることだろう。顔も体つきもがっしりと大きい大地、顔つきも体つきも華奢で幼く見られがちな私。まるで子供が大人を叱っているかのようだ。
本来私が年上だから、年下の彼氏を叱るなんてある意味日常茶飯事なわけだが、今回ばかりはそうでないことを大地も空気感から察知しているのだろう。
言葉を急かされた大地は、口をパクパクさせながら言う。
「びっくりさせようと思って……?」
「絶対に嘘だよね、それ。明らかにとってつけたでしょ。私がこの間サプライズが好きって言ったから、適当に言い訳したよね」
発端は、大地の転勤のことだった。
別に私は、彼女だからといって大地の人生にまで口を出す気はない。好きなところで仕事をすればいいと思っているし、やりたいことがあるなら仕事を辞めたって良いとさえ思っている。
私は大地よりも年上だけどまだ結婚に焦るような歳ではないし、何ならもう少し友達と遊んでいたい。だから大地にも自由にして欲しいと思っていた。
しかし、
「彼女に何の断りもなしに突然東京に転勤って、いくら何でもそれはないでしょ」
地元で普通に働いていたはずの彼氏から、引っ越し直前になって東京行きの転勤を告げられるなんて、いくら何でもあんまりだ。
私たちの地元から東京までは、バスに乗って駅に行き、電車に乗り換えて空港まで揺られていく。そこで飛行機に乗り、ようやくたどり着く。一人暮らしをすることになったら、そこからさらに電車とバスが必要になることだろう。
考えるだけでも立ち眩みした。
大地のことだから、私との自然消滅を狙ったことではないとわかる。顔に似合わずいつもぽけっとしていて、でもいざという時はバカみたいに誠実なやつだ。そんな器用なことができるわけないと、私が一番よくわかっている。
ということは、考えられるのは一つだけ。
「私には、関係ないってこと?」
「え? ちがっ……」
「そうじゃなければ何なのよ!洗濯物だってせっかく畳んでるのにしまわなくていいとかいうし、あんまりよ!」
私に言葉を遮られてほとんど喋れない大地は、いつの間にか立ち上がってオロオロしていた。少しだけ胸がスッとする。
大体の人はこれだけ言えば開き直ったり弁明したりするものだが、大地は絶対にそうしなかった。おそらく何もできないだけだとは思うけれど、それでもオロオロしながら話を聞いてくれると、少しだけ怒りが収まっていく気がした。
そのあとも仕事は計画的に終わらせなさいだの、カップ麺ばっかり食べないでだの、たまにはサプライズくらいしろ、私が一方的に日々の小言をぶちまけた。
大地はそれを相変わらず健気に正座して聞き、律儀に「うん」とか「ごめんなさい」とか言って相槌を打つ。こちらがいじめている気分になる。
あらかた言い終えると、大地はおずおずと手を挙げた。発言してもいいかと聞きたいのだろう。教師と気弱な生徒みたいだ。
私が無言で頷くと、大地は低い声で話し始める。
「えっと、洗濯物は畳んでくれてありがとう。いつも助かってる。転勤のことは、今まで黙っててごめん。本当にごめん。サプライズとかデートも、気の利いたこと、今までできなくてごめん」
律儀に一つ一つ謝っていく大地に、言いすぎたなと一人で思う。
これだけ散々言ったけれど、私は大地が嫌いなわけじゃないし、大地に嫌われたいわけでもない。そんなこと、あるはずがない。
「大地、ごめん、私……」
「俺の方こそ、ごめん。俺にはまだ早かったみたいだ」
「え?」
大地は私の眼の前を素通りして、部屋の隅に移動する。
そして私には開けるなと言ったタンスを開け、何かを取り出し、私の正面に立つ。手のひらにはいかにもサプライズらしい小さな箱。それを申し訳なさそうに私に渡すので、ひとまず中を開けてみる。
そこには小さく「sayaka」と彫られた、シンプルな指輪が鎮座していた。
私が目を白黒させていると、大地がまたオロオロしながら話し出す。
「前に沙耶華が五月病でやる気が出ないって言ってたから、何か元気になりそうなものを用意しようと思って……」
「それで、これ?」
「サプライズ好きって言ってたから……ちょうど転勤の話もあったし、付き合い始めてから三年目だし、タイミングもいいかと思って。でも五月病に勝てないどころか、返って沙耶華を怒らせた」
大地はまた「ごめん」と言ってうなだれた。
つまりは、こういうことなんだろう。
口下手だけど馬鹿正直な大地のことだから、きっと私のリクエストを律儀に鵜呑みにしてくれた。その結果転勤のことをタンスの中身のことも黙っていなくてはならなくなり、最終的に私に怒られるまでに至った。
要領が悪いから下手に言い訳もできず、ただ黙って私の怒りを聞き入れるしかなかったのだ。
まったくこの男は、本当に言葉足らずで、女心というものがわかっていない。
私は心の中で「バカ」と悪態をつき、指輪をはめろと催促する。未だに私の気持ちと返事をろくにわかっていないこの男に、何と言ってやろう。そう考えるだけで、私は思わず笑ってしまった。
これからのことは、もちろんたくさん話さなくてはいけない。でも今だけは少しの間だけ見送ろう。大地が勘違いした、五月病でも言い訳にして。
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