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長らくわたしを悩ませてきた「わたし」について
それをどこで、いつ、誰から聞いたのかさっぱり覚えていないけれど、ただ「自分を指す言葉を多用する人は自意識過剰」という恐ろしい一言だけがこびりついている。
大学生の時にはすでにその意識があったから、きっと高校や中学の時に聞いたのだろう。思春期真っただ中の、個性を出すこと・周りから逸脱することを何よりも恐れていた頃だ。
そんな頃に「これをやったら自意識過剰」だなんて聞いてしまったが最後、何を書くにしても意識してしまう。
作文も、小論文も「わたしは、」の定番の書き出しを避け、センスのいい誰かの言葉を借りてその場を凌ぐ。まだ小説は読専だったことだけが幸いだった。
その意識はつい最近、いや、今でもわたしの中を脈々と流れている。思い出すたびに「おい、自意識過剰だぞ。控えろ」と顔の見えない誰かに言われているようで、わたしはたびたび目の前の書きかけの文章から「わたし」の三文字をデリートしていた。
誰が言い始めたことかもわからないし、それが本当なのかもわからない。そもそも自分自身が誰かの書いたものに対して「この文章ちょっと…」と思ったことがないから、実感らしい実感はない。
だけど理屈は、わからなくもない。会話の上でも「自分は、自分は、」と繰り返し同じ話をしたり、誰かの話題をかっさらってしまうような話し方が好かれないのはよく聞くことだ。
人と人との間柄にもよるだろうが、初対面の相手にそういった話し方を進んでしようと思う人は少ないと思う。
文章も、ネットの海に放流したら大抵の出会いが「はじめまして」だ。もちろんわたしのことを知っていて、ありがたいことに好きと言ってくれて、読んでくれている人もいるだろうが、そうじゃない人の方が圧倒的に多いということはPV数を覗けばすぐにわかる。
それをわかっているならば、確かに会話的マナーを文章にも適用するべきなんだろうか?
なんだかんだと理屈をこねてみたけど、はっきり言ってわたしは自意識過剰だ。たぶん、おそらく。人の目を気にしがちだし、ちょっとしたことでもすぐに落ち込む。
だからこれ以上落ち込む要因を増やさないためにも、誰が言ったかも忘れてしまったような「自分を指す言葉を多用する人は自意識過剰」という恐ろしい一言を信じて守ろうと苦心してきたわけだ。
でも最近、自分の妄信的な思考に変化があった。
***
わたしは「わたし」を消し去ることで、他人からの「自意識過剰な奴だな」という言葉を上手に避けてきたつもりでいた。きちんと自分の身をわきまえていますよ、謙虚に生きていますよ、と。
それがどこにどういう形で功を奏したのかはわからないが、わたしにとっては大きなデメリットだったように思う。
「わたし」を主張しないことで、わたしは「個性を出さないこと」「目立たず地味でいること」を無意識に実践してしまっていた。
だから、というわけではないし、もともとの性格のせいもあるだろうけれど、わたしは自分の意見を述べること、主張することがとても苦手だ。さらに輪をかけて「これをやったら自意識過剰」と自分に呪いをかけてしまったせいで、そういう部分を意識することすら避けて生きてきた。
でもそれで、誰が得をしたのだろう。余計な不運は避けられたかもしれないけれど、結果的にはプラマイゼロというか、むしろマイナスというか、そんな気がしているのだ。
それならマイナスは多くとも、最終的にプラスになるようなやり方があったんじゃないかなぁと思ってみたりする。
特にnote上で小説だけでなくエッセイを書くようになって、よく思う。「わたし」を消したからって、わたしの自意識過剰がなくなったわけではない。むしろ消そう消そうと思うことで余計に意識されているような。忘れようと思うほどに未練が残る失恋のように。
それならば考えたって仕方がないのかもしれない。とかいうと今までのことが無駄になるみたいだけど、たぶんそうじゃなくって。
こうやって遠回りしながらもたどりつけた「意味がない」に意味があるような気がするから、しばらくはこの考え方と一緒に文章を作っていってみようと思っている。
また誰かが同じ話を聞いて、同じように悩んでいたとしたら「そんなの気にすんな。すきなように書きなよ」と偉そうなことを言うと思う。だって誰かがすきなように書いた主張のある文章、心のある文章がすきだから。
それを自分にも適用してあげたいと今は思う。
いつだか「自分を指す言葉を多用する人は自意識過剰」とわたしに教えたあなた。ありがとうは言いません。でもいつかは言えるかもしれません。どうなるかはわたしにもわかりません。また変化があれば、続きを書こうかな。
ちなみにこの文章中で使った「わたし」は全部で19回でした。相変わらずだね、わたし。あっ、20回。
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