「さよなら」には三日いる #お気に入りの音楽で言葉を綴ろう
二年付き合った彼女に別れを切り出したら「三日だけ待って」と言われた。
大事な話があるとメッセージを送って、その日の夜には俺の部屋のローテーブルを差し挟んで向かい合っていた。
彼女が着ている赤いTシャツを見たら楽しかった思い出が蘇ってきて感慨深くもなったが、それ以上に解放されたいという思いが募っていたので構わずに切り出した。
突然の申し出だったから話し合いになるかと思ったが、彼女は「薄々気づいてたから」と驚く様子もなく落ち着きを払っていた。隠し通せていると思い込んでいた自分が少し恥ずかしくもあるが、それなら話も早いので運が良かったと思うことにした。
しかしどうして三日も待つ必要があるのか。
そう聞くと「それなりに準備がいるのよ」とデート前みたいな台詞をひとつ残して、その日は俺の家で使っていたスマホの充電器やドライヤーを大きめのバッグに詰めて帰っていった。他のものはまた後で取りに来るわ、と言って合鍵で丁寧にドアを閉めた。
円満に終われるなら何でもいい。もう俺の中には「さよなら」の一言すらもないけれど、二年も一緒にいたのだ、あと三日くらいなんてことはない。
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そう思って一日目、気持ちのいい秋晴れの日。
仕事が休みで昼過ぎに起き出すと、スマホには着信がふたつ入っていた。ひとつは今夜会う約束をしていた友人から、もうひとつは彼女からだった。
友人に電話をかけ直すと今日の予定を一時間ずらしてほしいという打診だったので、快くうなずいた。
もう一件の不在着信にもかけ直すべきかと考えたが、要件があるならまた連絡があるだろうと思って放置した。「別れるときには自分が悪役を買って出ろ」とモテる同僚が言っていたのを思い出したせいもあるが、単に彼女との会話が億劫だった。
夜になり、友人と飲みに出て終電を逃したからそのまま近くのファミレスで夜を明かした。まるで学生時代みたいで懐かしいと胸の中が呻いたが、身体はしっかり歳をとっているので始発で家に帰ってくると死んだように眠り込んだ。
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目が覚めると窓の外は淡いオレンジ色が空を塗りこめていた。
時刻は午後五時、ずいぶん長く眠っていたらしい。途中で一度人の気配を感じて目を覚ました気もするがよく覚えておらず、安酒で焼けた喉に水を流し込んだらすぐに忘れた。
そういえばと思って夜にスマホをチェックしたが、彼女からの連絡はなかった。
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約束の三日目がやってきた。
朝から仕事の打ち合わせで外出してはいたが、いずれくるだろう彼女からの連絡をこまめに確認していた。
しかし待てど暮らせど着信もメッセージも増えず「何か約束でも?」と打ち合わせ相手に首をひねられながら用事を終えて帰宅した。
部屋着に着替えるついでにシャワーも浴びてすっきりするが、腰にバスタオルを巻いた状態でスマホをチェックするとやはり音沙汰ない。
「三日だけ待って」という言葉の意味を取り違えたか、と考えながら部屋に置きざりになったままの彼女の私物を集めてみる。
残り半分になった化粧水、部屋着にしていた俺のお古のTシャツ、洗面台のピンク色の歯ブラシ。捨ててしまって構わないと言われそうな品ばかり並び、もしやもう会うつもりもないのかと困惑する。
しかしひとつだけ、彼女が取りに来そうなものがあった。付き合って一年の記念日にねだられて買ったアクセサリーケースだ。
繊細な装飾が美しい小ぶりな箱はそれなりに値の張るもので、中には彼女が気に入って使っていたピアスやブレスレットも入っている。それにまだ合鍵だって返してもらってないから、
「え、」
何気なく開いた煌びやかな箱の中。ベルベットのような光沢のある生地が敷かれた中身は、空っぽだった。
中に入っていたはずのピアスもブレスレットもひとつ残らず姿を消している。いや、ひとつも、というのは正確じゃない。
美しいベルベットの上には傷だらけの鉛色が不似合いに鎮座している。人の手に使い込まれた変哲もない一本の鍵。かつて彼女の手に馴染んでいたはずの、俺の家の合鍵だった。
慌ててスマホを手に取って彼女の番号を呼び出す。出ない。もう一度かけるが結果は変わらない。
部屋の真ん中で呆然としていると、飼い主に置いていかれた合鍵と目が合った気がした。
***
あのあとも彼女と連絡はつかず、また彼女が独り暮らしをしていた家にも行ってみたがすでにもぬけの殻だった。たった三日間で、と感嘆すると共に彼女の「薄々気づいてたから」という台詞が実感を持って目の前に迫っていた。
その後も何事もなかったように日々が過ぎ、使われる宛をなくした生活用品がホコリをかぶり始めたころにようやく重い腰をあげて透明なゴミ袋を広げた。
だが家の中にあった彼女の残りの私物を処分していると、やはりまたあの合鍵と目が合う。
捨てられたのはどっちだったのか。
中途半端にものを入れられたゴミ袋が部屋の隅でへたり込んでいて、喧嘩してすねたときの彼女みたいだなと思う。実際は残り半分になった化粧水と、部屋着にしていた俺のお古のTシャツ、洗面台のオレンジ色の歯ブラシ、そして記念日にねだられて買ったアクセサリーケースなんだけど。
夕暮れのオレンジが差し込む部屋でそれを見ていたら、向ける相手もいないのに「さよなら」が零れ落ちる。
なるほど、確かに三日必要だったなと思って一息つき、スマホで「鍵 処分 方法」と検索した。
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GOOD ON THE REEL『つぼみ』
この街ではどこに行ってもなんだかあなたがいるようだから
次の春にはこの街も捨てることにしたよ
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こちらの企画に参加しています*
音楽と書き物の親和性は強いほうかもしれません、比較的。
最初から意識的にひとつの曲を念頭に置いて書き出すことは少ないですが(それこそ先日結果発表があった#ナイトソングスミューズ を合わせても片手で済むくらい)、あとから音楽がついてくる、ということは結構ありました。
なんだろ、イメージソング的な感じでしょうか。自分が書くもの以外でもよくあるんです。「この曲ってあのアニメの主題歌だと思ってたんだけど違うの…!?」みたいなこと。
そのくらい物語と音楽って関係性が深くて、また耳で聞いたものが手繰り寄せる思い出とか断片的なイメージがあるんだなぁとひとりでしみじみしていました。
さて、今回七海さんが企画された#お気に入りの音楽で言葉を綴ろう ですが、何を書こうかな~とぽつぽつしていたところ、企画の概要欄に「流行った曲というのは、あなたの中で流行った曲で構いません。世間では流行らなくても、あなたが書きたいと思う曲でご参加ください」という文言を見つけました。
あ、そっか。世間的にはどうであれ、わたしがめためたに好きだった曲を選んで書いていいのか。そっか。
よーし、じゃあ大学からの帰り道、真夜中に自転車を立ちこぎしながらボロボロ泣いて聞いてたあの曲にしよ!と思い立ったわけです。
それがGOOD ON THE REEL『つぼみ』。
この曲のなんとまぁ泣けることか。
個人的解釈ですが、端的に言えば「別れた元カレにもらった品を夜毎にひとつ捨てていき、最後にはこの街ごと捨てて歩きだそう」という感じ。だと思っています。
この曲は失恋のときのどうしようもない気持ちに浸らせてくれるといいますか。空回りの希望を見せるでもなく、永遠にあの人を思い続ける甘い苦しみを強要するでもなく、ただ「あーーーー、」と息を吐きながら立ち止まれるような、そんな曲だと思っています。未視聴の方は一度聞いてみてね。
そんな過去の記憶を掘り起こして持ってきた一曲でした。
ではこれを今度は物語にするにあたって、彼女側の視点から書こうと思っていたんです、最初は。
だけど色々考えているうちに、彼女が元カレとの決別の日へ向けてひとつずつ思い出の品を処分している中、元カレはいったいどうしていたのだろう?と考え始めました。
そうしているうちにあれよあれよと今回の物語が出来ました。
一個わたしが書きたかったもの、というか願望を明かしておくなら、「彼女にはこれくらい強かであってほしい」ということでしょうか。
片方にとっては身体を半分に裂かれるような別れの痛みも、もう片方にとっては何でもないことで、ポップコーンを片手に見ていた映画が終わったくらいの気持ちかもしれない。
それなら最後の置き土産に強烈な一撃くらいあってもいいんじゃないか、と思いながら結末をつけました。
あれ、余談のほうが長くなってしまった。
なにはともあれ、ここまでお付き合いありがとうございました。
最後になりますが素敵な企画をしてくださった七海さんに感謝を*
作品を閲覧していただき、ありがとうございました! サポートしていただいた分は活動費、もしくはチョコレート買います。