「食わず嫌いしない」が1番の食わず嫌いだった



いわゆる「苦手なもの」はあまりない。

ゆいいつ思いつくのは味噌汁に入った長ネギくらいで、よっぽどのゲテモノでなければ大抵のものは食べられるし、人から出されたものなら胃に空き容量がある限りはきちんと食べる。

「食わず嫌いしない」というのが、ささやかだけれど自分のポリシーのひとつだった。




それと同じで、小説でも漫画でもnoteでも「このジャンルは苦手だから読まない」という避け方はあまりしない。もちろん無意識に手に取らないものはあるかもしれないけど、あくまでも意識的ではないからここではひとまず冷蔵庫の中に閉まっておくことにする。

誰が書いた、どんなジャンルの、流行の有無に関わらず、気になったらできるだけ読む。そうすることで出会ってきたものが自分とってはとても尊くて、愛おしい。自分の本棚に一冊ずつ収めて、それを眺めることが楽しかった。



だけど最近、自分の本棚を端から端までじっと見つめてみて、なんだか違和感を覚えてしまった。


あれ、作者も、巻数も、全然揃っていない。背表紙の色味もあいうえお順もバラバラで、すごく雑多に見える。


「ひとりの作家さん」を追って作品を読むことはしない。シリーズ物を好んで手に取ることもない。ハッシュタグ企画をまるっと大人買い(大人読み)することもない。

それは全部自分の「食わず嫌いをしない」というポリシーに則ってやってきたことだ。なんでも読むことを意識して、何事も避けないようにしてきた結果なのだけど、いつの間にかとても雑多な本棚になってしまっていた。


もしかして、この読み方はすごくつまみ食い的な側面があるんじゃないか。「食わず嫌いをしない」ってことは、もしかするとひとつのもの(作者さんや作品)をじっと見つめることを避けることにもなっていたんじゃないか。


もちろん本棚に収めさせてもらった作品ひとつひとつはとても素晴らしいものだし、繰り返し取り出して開いているものもある。だからそれらがどこか雑多に見えてしまうのは、おそらくわたしの収め方(読み方)そのものが雑多だからだ。

ある一個の読み方に固執して、ほかの大事なものたちを取りこぼしているような。「食わず嫌いをしない」ことが、実は1番の食わず嫌いだったというような。

自分の本棚を見ていたらそんな気がしてしまって、唐突に「変えるなら今だ」と思った。



自分の読み方を変えるなら、きっと今がいいタイミングなんだ。たとえそれが今まで守ってきたポリシーだとしても、自分のやっていることに疑問を持ったその地点で変えてみて、うまくできなくてうろうろしながら、少しずつ新しいものを見たい。

というか、何より自分自身が物足りなくなってしまったのかもしれない。もっと深く入り込みたい、そう思わせてくれるような作品がnoteにはたくさんあって、それらを少しずつつまみ食いするのでは満腹感が得られなくなったのだ。

そういう自分の変化を悲観するのではなく楽しむとともに、そう思わせてくれたnoterさんに感謝したいと思います。いつもお世話になってます、ありがとうございます。





ここからは注意、というかお願いのようなものなのですが。

「ひとりの読み手にスキをつけられまくる」というのに、やはりちょっと抵抗のある方もいるんだろうなーと思ってます。

わたしは通知が届きまくるの嬉しい派だけど、きっとnoteの楽しみ方はひとそれぞれで、ひっそりと大切に言葉を綴っていたいって人もいるんだろう。

なのでここまで書いておいてアレだけど、ちょっとビビってる部分もあります。もちろんその方の作品を一から全部ってわけにはいかないけどね、気に入ったら結構な量になってしまうかもしれない。

なので「気にしないよ」って優しい方はこっそり教えてくれると、そのうち忍び足であしあとをつけていくかもしれません。

そうでなくても、好きな作家さんの作品はビビりながらも読みに行きます。




新しいことは、わくわくするね。





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