見出し画像

南瓜提灯

「……うらなりのなかの、うらなり」
 畑の隅に無造作に積まれた、ちいさい南瓜を手に美代が呟く。冬至にはまだ間があるこの季節、涼しい場所でゆっくり追熟させてなんとか売り物にしようとしても、どうもならないと判断されたのだろう。
けれど、美代にとって、そんなかぼちゃでもだいじな栄養源だった。
(村の北はずれに住むようになって、もう……捨てもんを拾うのにも慣れちまった)
 おおきな山と生い茂る森の陰となり、夕暮れ前にとっくに暗くなっている村を、美代はかぼちゃを手に、ぼんやりと眺める。年は十八、手足も長く身丈もがっしりとした美代ならば、ほんとうならば村の働き手として重宝されて──いたはずだ。しかし美代が十四のときに村を襲った流行病に取りつかれた家族ごと村の北はずれに追いやられてからは、畑の手伝いに呼び出されることもめっきりなくなっていた。
 ほとんど何も生まない山を背に、日のあたりがいっそう悪いわずかばかりの畑を耕してもどうにもならず──最近ではこうして、村の誰彼が間尺に合わぬと捨てた作物をこっそり持ち帰るのが美代の習慣となっていた。
「さて、どうやって食べようか」
 父が遺した山刀を、美代はかぼちゃめがけて振り下ろす。しかしその一撃は、かぼちゃの固い皮に傷をつけただけで、実を断つことはできなかった。  ちいさな南瓜の斜め右から左へとはしる、切り傷ひとつ。
 それをしばらく、美代はじっ、と見ていたが──
「うふふ、思いがけない向こう傷」
 いつか、村祭りにやってきた紙芝居で見た剣士のようだと気づいたとたん、なんだかおかしくなってきて、くつくつ笑いがこみ上げてくる。
「そうだ」
 どうせ食べられないのなら、と、美代は今度は父の形見の小刀を取り出し、傷を挟んで両の目を、さらには口をつけてみようと試みる。堅い皮をくりぬき、やせて渋い実を削ること数刻──いよいよ夜となるころには、かぼちゃがひとつの頭のようになっていた。
「こうして見ると、なんだか提灯みたいだねえ……」
 何の気なしの呟きに、またひとつ、美代はいいことひらめいた、と言わんばかりの、ぱっと年頃の娘らしい笑みを浮かべ、ちびた蝋燭をかぼちゃのなかに入れてみた。
「あれま、思いつきとはいえ、なかなかしゃれた提灯のできあがり」
 食べる実もわずかと思われた南瓜が、剣士とはいえどこかおどけた風情の提灯にしあがったことがおもしろくて、うふふ、と美代が常になく声を立てて笑った、そのときだった。
「それ……南瓜提灯?」
 年わかい男の声が、美代のうしろから聞こえてきたのは。

「あ……せ、清さん」
 振り向いた美代は、そこに立っているのが誰かをさとったと同時に、二の句がつげずに唇をきゅっ、と引き結んだ。くらい夜道にカンテラかざして立つその男こそ──村の庄屋の長男である清太郎こと、清さんだった。
 年は美代よりふたつ三つ上ながら、その頭の良さは美代たちどころか、周りの大人たちにも知られていた。あんまり頭がいいものだから、大人たちだけでなく、美代たち子ども連さえも──この暗くて寒い村からいつか出る博士か大臣は、きっと清さんだろう、と噂していた。
そうした村の期待を一身に背負い、清さんは意気揚々、都会の学校へと巣立っていったのだが──……
 半年前、何があったかは誰にも何にも分からぬけれど、清さんは真っ青に痩せこけて、この村へと戻ってきた。
(……村のみんなが、清さんは人目を避けて夜歩きしてる、と噂、してたけど)
 ほんとだったんだ、と息を呑む美代に気づいていないのか、清さんはじいっと、くりぬかれた南瓜を見つめ──目を細めた。
「こんなところで、南瓜提灯が見られるなんて思わなかった」
「南瓜提灯?」
 聞き慣れぬ言葉に美代が首をかしげると、清さんはちかちかとまたたく蝋燭を見つめたまま口を開いた。
「遠い遠い海の果ての邦ではね、秋の夜にこうやって、目鼻をくりぬいた南瓜提灯を飾るらしいんだ。その夜、なつかしい家族のもとを訪れる死者たちの道中を邪魔する悪い精霊や魔女を遠ざけるため、だそうだよ」
「なんだか、お盆みたいですねえ」
 美代の返しに、清さんはうん、とうなずいて、
「でも、いろんな顔した南瓜提灯がずらりと並ぶのは、なかなか壮観だろうからね──その話を聞いたときに、そんな景色、一度でいいから見てみたいな、って思ったんだ。
 ──……だけどそれは、都会の鉄筋コンクリートの校舎の屋上からも、港の塔からも見えない……何十日も、ひょっとしたら百日を越えて船に揺られて行った先にある、ほんとに遠い遠い邦のことだからね……」
 届かぬあこがれに揺れる、清さんの黒い瞳。
それを美代は、とってもきれいだ、としばしみとれていた──が。
「あ、あの、清……さん」
 うらなりで捨てられたかぼちゃで良かったら、持っていって。
 そう続けようとした美代だったが、それは声にならず──やっぱりもういちど話しかけてみよう、とうつむいた顔をあげたときには、清さんの姿はもう、村の夜闇にとけきっていた。



 ──そして、何年かが過ぎて。
 霜月が来ると、美代は決まってかぼちゃを顔のかたちにくり抜き、軒先に並べる。相変わらず、村の北はずれに暮らす美代がこんなことをしていても、誰も見とがめることはない。
「さあ……清さん、今年も作ってみたんだ」
 いくらか美男に彫れた南瓜提灯に、美代はぽつりと囁いてみる。けれど、返る声はどこからもない。
 あの夜を境に、清さんは、村からすっぱりと消えてしまった。
 清さんは親に逆らい家出したとも、いや、清さんの名が記された黒白の旗が夜に翻っていただのと──いつにも増して声ひそませる噂話も、美代の耳には届いてなどいなかった。
「遠い遠い邦まで行けなくても、南瓜提灯なら、あたしんとこまで見においでよ」
 うらなりのかぼちゃで良ければ、いくらでも作るから。
 美代のうっとり囁く声に、南瓜提灯に灯された、尽きかけの蝋燭の火がぐらりと揺れた。


                  #novelber   Day3 かぼちゃ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?