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隙間の奥の心懸想

(……ちっ)
 また見つけちまった、と文蔵が放った舌打ちは、誰の耳にも聞きとがめられることなく、霜月のかーんと冴えた空気のなかに溶けていった。
 家の主も、その裏で差配するものもいなくなり、とうが立つを通り越していよいよ化物屋敷寸前となった古い屋敷。山を背に負う屋敷ゆえ、日の照る時間がすぎれば、もとより濃い陰も色を増す。
 往時の職人の手業をかろうじて忍ばせるに足る壁に、深く入っていた亀裂がもったいないと、這わせた指を何気なく差し入れたのがあだになった──苦虫をかみつぶしたあとに美味くもない饐えた酒を呑まされたようなしかめ面を、文蔵は浮かべている。だが、その太くささくれ立った指を、壁の隙間から引き上げることを文蔵はせずにいた。
 指先に触れるのは、かさりとした紙。
(こいつが乾いた落葉なら、親方はおおかた狐の札束だの、狸の懸想文の化けの皮が剥がれちまったモンだろう、と笑い飛ばしてくれたろうが)
 からりとした、湿り気ひとつない親方のあの笑い声こそ最高の厄落としだった、と文蔵は小僧の時分をふと思い出す。
(ガキの頃からひび入った隙間を見るたび、どういうわけか指を伸ばしちまう癖のせいで、どんだけ頭抱える羽目になったか)
 家壊しにやってきた先で、文蔵がふと指を差し入れた隙間からどんぐりやへそくりが出てきた、なんていう笑い話は、百の内の三もない。見出してしまうもののおおかたは──そういうものだとしても、どこか品のない笑い絵のなりそこないだの、感情をぶつけるだけぶつけて、出せなかった恋文だ。それを見つけるたびに悲鳴を上げたせいで、それまで波風ひとつ立たなかった家が大荒れに荒れた、なんていうのをまざまざ見せつけられてばかりで、そのたびに文蔵はなるたけ口を重くして過ごすようになっていった。
 そういうものを隠すのに、隙間はまさにうってつけなのだと、文蔵にだって分かっている。けれども隙間の奥へと押しやられた紙片は──ことに晩秋ともなれば、暮れゆく季節ならではのうれいやかなしみが、こころの隙間からひきずりだした本音や願望を書き散らしながら、理性でかろうじて隙間に押し込み返した──としか、文蔵には感じられない。
(とうにいない誰かの心懸想に、剥き出しのほんとうの気持ち。浮世渡世に波風ァ要らん、となれば、ぎゅっと隙間に押し込んで、隠しちまうが賢明さ) 
 うそぶく文蔵の指先で、かさり、と再び紙が揺れる。
 ──解いちまいなよ。
 むすりと黙り込む文蔵に、囁かれる声をたしかに感じてはいたけれど──文蔵はしずかに指を引いて撥ね除けた。
「いずれにしても、もともと俺ンとこに来るべきもんじゃねえだろうが。それなのに解いちまいな、なんて簡単に唆すんじゃねえよ」
 けっ、と文蔵は唾を吐き、幾度も幾度も手を振った。そして、霜月の凍みる空気に指先の熱がようやく冷めた頃を見計らい、文蔵は腹から声を出す。
「さあ、さっさと片づけちまうぞ!」
 その声に、活気づく四囲を感じながら、文蔵はじっ、とかの隙間を睨みつける。
 瓦礫と落葉が混ざり合い、月日に溶かされていくうちに──隙間に隠した紙片の奥の、いつわらざる、掛け値なき本音を叩きつけられた想いも、また。
「書いたヤツが解かねえ、と決めて押し込んだんだ、おとなしく、そのまま往生しとけよ」
 引導を渡し、文蔵はふ、と視線をゆるめた。
(そのほうがしあわせと信じて、そうしたヤツが──後世もしあわせだったなら、いいが)
 もはや暮らすものひとりとてない、荒れた屋敷を見回しながら──それでも、文蔵はそう願わずにはいられなかった。

                     #ノベルバー  Day28 隙間

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