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無精子症と向き合う「自分」の物語

自己紹介

今までnoteのアカウントはもっていたけれども、この「無精子症」と言う病気をきっかけにこの経験を記事に残したいなと思い書いてみようと思う。

年齢:30(大谷翔平と同い年)
身長:184(スタイルいいと勝手に思ってる)
職業:サラリーマン(大手メーカー人事)
住んでいる場所:京都(1ヶ月前まで滋賀に住んでた)
趣味:カメラ、小説、野球観戦、散歩

カメラは結構ガチでやっていて、インスタは頑張って1万人達成したいな〜っていう感じ。もしよければアカウント覗いてみてください。

結婚して3年になろうとしたところ大きな転機が訪れた。
それが「無精子症」という診断だった。

幼少期から〜今まで

自分は幼少期から不安定な人生を過ごしてきた。小学校低学年の時に両親が離婚して、専業主婦だった母親が何とか職を探して必死に働いて、なんとか生きながらえていた。自分と妹は祖父母に預けられて、晩御飯をつくってもらったり親同然のようによくしてもらった。

母親の実家は米屋で、自分達は米蔵みたいなところで居候していた。
当然米蔵なのでお風呂もなければ、トイレも草履を履いて外に出ないと用が足せなかった(もちろん和式便所)。夜になるとネズミのバタバタという音が天井から聞こえて、家に猫の死体が落ちていて友達に揶揄われたこともある(これは衝撃だったw)

なので両親が離婚する前まではある程度裕福だった記憶があるけど、離婚してからは貧乏な思いをした記憶しかない。だから自分にもし子供ができたらこんな思いはさせたくないな、と思っていた。ここで自分の中に人並みに給料をもらって穏やかな人生を生きたいという「安定志向」が芽生え始める。

でもだからといってむちゃくちゃ不満だったかいうとそうでもない。貧乏なりに楽しんでいたし、親は愛情を持って育ててくれた。いまだって自分が辛い時は誰よりも寄り添ってくれる。本当にありがたい存在だ。

離婚してからも父とはたまに会う関係性で、色々な事情もあり高校からは父方の実家で暮らすようになった。その頃にはだいぶ貧乏な思いをすることもなく、大学にも進学させてもらえた。

そして就活も頑張ってある程度大きな会社に入って、給料も休みも同世代と比べるともらえていて、自分のやりたい仕事もして、結構自分は運のいい人間だなと思っていた。というか恵まれすぎていた。

奥さんとは大学4年の時に出会った。きっかけは友達の紹介。
沖縄出身で社会人になると遠距離恋愛が始まった。何回か別れの危機はあったけど、それを乗り越えて交際4年でゴールインした。

幸せの絶頂だった。

それから奥さんの仕事が慣れ始めた頃にそろそろ「子供がほしい」という話になり、妊活をした。
奥さんは自分よりも5歳上なので、なかなか自然妊娠に至らなかったことも当時はまったく自分のせいだと思っていなかった。むしろ「こんなもんだろう」と高をくくっていた。

でも産婦人科に行っても、奥さんに異常はなくとても健康体。
旦那さんの精子も念の為調べましょうという話になり、調べた結果が先ほどの「無精子症」という診断だった。

診断の瞬間

初めて医者から無精子症と診断された時。

「まさか?自分が?嘘?」
頭が真っ白になった。頭は真っ白で、目の前はブラックアウト。梯子を外された気分だった。

その後にもう一度、次は泌尿器科に受診した。
どうやら1回目は無精子症という診断でも、2回目は何匹か精子が見つかるケースもあるみたいだ。

でも結果は同じ。ホルモン剤も飲んで何度も血を抜かれて、もう一度を検査したけどそれでも結果は同じ、、、、、。

男性としての存在価値を否定された気分だった。
そもそも生物はDNAを後世に残し子孫を繁栄させるために生まれてくる。でもそんなシンプルなことが自分にはできない。

いや、なんで子供を虐待して子供を無惨な死に追いやる人の元にはポンポコ子供ができて、子供を大切にしたい、大事に育てたいと思ってる人の元には子供が生まれないんだろ・・・・。

本当に神様は残酷だ。ずっとそう思っている。
でもこれもまた自分の「宿命」なのかもしれないと思って、どこかのタイミングでは受け入れなければならない。

そんな時はいつくるのだろうか?、それがいまの正直な気持ち。

奥さんとのその後

自分でもなかなか受け入れきれていない、心に靄がかかった状態の中で両親に打ち明けるのも当然勇気がいった。

順調な様子をこのままずっと見せていたい、心配をかけたくない、そんなことを思うたびになかなか打ち明けられない自分がいた。
人に弱みを見せるのが苦手だ。いつまでも気丈に振る舞っていたい。本当は弱いのに強がろうとする自分。

でもそれもすぐ限界がきた。

奥さんから「別れたい」と切り出された。

実は無精子症と診断された時、別れも選択肢に入れて今後の将来の話し合いをしていた。自分から「別れ」の選択肢を提示しておきながら、実際に言われた時はかなりのショックだった。しかもコロナ禍で行けていなかった新婚旅行の1週間後に別れを切り出されたのが、さらにショックを増幅させた。
態度も一気に冷たくなった(人が豹変するって本当に怖い。。。)

まさに天国から地獄に落とされた気分。
あんなに新婚旅行は楽しそうにしてたのに・・・。まだ自分は新婚旅行の余韻に浸っていたいのに・・・。

そんな気持ちばかりが押し寄せてくる。
もはや自分では抱えきれないものになった。

そしてようやく両親に打ち明けた。
無精子症であるとともにそれが原因で別れを切り出されているという話も含めて。

両親は淡々と話を聞いてくれた。変に悲しませて心配されるよりは、その方がむしろありがたかった。

話を一通り聞いてもらってから一言。
「手術を受けなさい」

実は無精子症でも睾丸で射出されるまでの量ではないけれど、微量の精子を睾丸で造っている可能性もあり、睾丸を切開すれば精子を取り出すことができる可能性がまだ残されてるらしい。成功率は30%と言われた。

ちなみに染色体検査もして、染色体に異常がないことはわかった(染色体異常の場合、そもそも睾丸を切開しても精子を取り出せる可能性はほぼ0。これにはホッとした)

でも奥さんは反対した。もちろん切開して精子を取り出せたとしても、確実に体外受精になる。そうなると奥さん側も卵子を取り出さないといけない。負担もある。

奥さんが反対したのには、もちろん自分への身体の心配もある。
睾丸を切開することで、将来的には更年期障害に悩まされるケースもあるみたいだ。でもそれよりも自分は「今」を大切にしたい。

ただ奥さん曰く

自然妊娠で子供を産みたい。自然妊娠で子供が望めないのであれば、あなたとは別れたい。

なかなか今の自分には残酷すぎる言葉、、、。
でも奥さんにはなんの悪気もないのだ。奥さんから「子供を持つのが自分の小さな頃からの夢」とまで言われてしまうと、もう何も言えなくなった。

なんか分かり合えない気がした。
でもこんなことになってしまって、それでも奥さんを引き留めることもなんか身勝手な気もする。女性には出産のタイムリミットが存在する。

なかなか自分の中の別れたくないという「感情」と別れる方がいいという「論理」が一致しない状態。頭がおかしくなりそう。

トドメはこの一言。

あなたは何も悪いことはしていないし自分を責めなくてもいい。でも別れたい。このままここで別れてくれないと、一生子供ができないことであなたを恨むかもしれない。

悪いことしてないし自分を責めなくてもいいなんて言葉、出まかせに聞こえる。

この人のピュアで素直なところを好きになった自分だけど、ゆえの残酷さも感じる。素直さゆえに思ったことをすぐに言ってしまう。いい意味でも悪い意味でも嘘がつけない。

子供がピュアに色々と言葉を投げかけて、悪気もなくグサッと傷つける感じ。オブラートに包めないというか・・・。それが自分が好きになった奥さんという人だ。でも素は本当にいい人なのだ。

「恨む」なんて言われたらこっちだって怯んでしまう。

奥さんが遠い沖縄からやってきて慣れない職場環境に耐えて、ホームシックになりながら頑張っていたことも知っている。頻繁に沖縄には帰れないから家族もそばにいなくて寂しい思いもさせた。

だからこの件で別れると言われても奥さんを責めることはできなかった。残るのは行き場のないやるせなさだけ(そして感情がぐちゃぐちゃになって不眠症になって目をバキバキにさせながら仕事するのループ)

さてこの気持ちはどう昇華させればいいんだ?

最終的には色々話し合って、離婚を決めた。

今の心境

離婚してから母の実家の方に避難してきて、あれこれ話して少しだけ気持ちも楽になった。あとは自分の好きな採用の仕事で色々と忙しくさせてもらっていて、仕事をエンジョイして没頭できてるのは本当に救いだ。

でもふと気持ちの落ち込みが始まる。。。

・自分は将来誰からも愛されず、孤独に一生を終えるのではないか?
・もう誰にも受け入れてもらえないのではないか?
(だって8年も一緒にいた奥さんという本来最大の理解者であって欲しい人にすら、受け入れてもらえなかったのだから・・)
・何かもう死にたい・・・。気持ちがしんどい・・・。

その度に坐禅を組んで瞑想をする。瞑想してると少しだけ気持ちが落ち着くしよく眠れる。あまり薬とかには頼りたくない。あとは小説やネトフリを見て異世界に飛び込む。そうして現実逃避して何とか踏ん張ってるのが今の自分。

最近思うことがある。

自分が選択したことでの結果的な不幸と、自分がコントロールし得ないある意味、不可抗力的な不幸の、大きく「不幸」にも2種類あるなと思う。

自分が選択したことでの不幸はある意味、自己責任として割り切れるけども、後者の不可抗力的な不幸はなかなか割り切れない。

「なんて神様は残酷なんだ、自分は天から見放されてる!」って。

でもそういった経験を乗り越えて明るく前向きに生きてる人もいる訳で、本当にそういう人は尊敬に値するなって思う。

しかもそういう人って本当に辛い経験をしてるから、人に優しくなれる。
表面的な優しさではなく、芯からの優しさ、そして強さ。

そういう意味では母はそうなのかもしれない。
ここ数年で両親の介護をしてどっちも亡くなり、姉もガンで亡くして、今は母の父(つまり自分の祖父)の妹の介護までしている。

自分はおばちゃんとその人を呼んでるけど、そのおばちゃんは今年90で生涯独身、今は認知症になってる。本来母には、その人の介護をする義務なんてない。だって直接的な血のつながりなんてないのだから。

でもブツブツ文句言いながらも料理作ったり、病院に連れ添ったりしてる。
無償の愛ってやつだと思う。

それは本当の優しさや強さを備えていないとできない。
だから今までそんなこと思ったこともなかったけど、母は尊敬に値する人なのかもしれない。

自分もいつかそういう人間でありたいなと思う。不可抗力的な不幸を経験した身として。













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