コロナを通じて思う事
■コロナに対する社会を通して思う事
去年の今頃は今の世の中みたいになる事なんて誰も思わなかっただろう。
『コロナ』
1つのウィルスに右往左往し、政治や経済、日頃の生活までも一変してしまう。
そう考えると、ホントに病気は恐ろしいと思うものかもしれない。
人と会わない。
会う時は必ずマスクを。
ソーシャルディスタンスを守り
会社や学校はリモートで
学校が始まっても勉学だけ進めて、当たり前にあった行事が無くなる。
それも、全世界で…………
でも、私自身は何だか未だに映画やドラマや夢を見ている、そんな錯覚に陥りそうになる。
いや、チャンと出かける時はマスクもしているし、消毒もしてる。
ソーシャルディスタンスも心掛ける。
おかげで大好きな温泉巡りの旅に行けていない(T^T)
ただコロナで緊急事態になった時、正直そんなに危機感は無かった。
子供を持つ親なら焦って当然だろうに、子供を持つ私はそんなに焦りもしなかった。
何故か?
自分自身も小学生時代、1型糖尿病になった時から入院や学校に行きたくない病で、高学年時代は学校に行ってなかったりした時期がある。
でも運良く大学まで行ってるし、専門職にも付いているし、結婚や出産もして、今現在チャンと生活している。
だから、正直そんなに焦りはなかった。
生活が一変して戸惑う友人も沢山いるけど、既に1型糖尿病を発症した事で、私の世界は一変した事実もある。
確かに未知なる遭遇は戸惑うだろう。
以前とは全く違う生活を突然やれと言われても、何をどうしたらいいか分からず、迷うだろう。
それは当たり前の事だと私自身も思う。
でもね、私は知っている。
そう言う時の肝のすわらせ方(笑)
■そもそも普通って何だろう?
私自身が1型糖尿病になって、よく思う事がある。
それは『普通って何だろう?』と言う事。
いつもと違う生活
いつもと違う行動
人と違う考え方
人と違う生活
それ等は全て普通では無いのか?
私自身が1型糖尿病になった時、毎日一日数回の血糖測定が始まった。
それと共にインスリン注射も始まった。
今の1型糖尿病の治療には医学の進歩で色々なインスリンが開発されて無くなったけど、発症当時はとても厳しい食事制限もあった。
子供なのにおやつも食べられない。
当時新鮮だったインスタント食品もカロリーオーバーで食べられない。
体育の授業前に低血糖が起こらない様に補食をしたり、あまりにハードな運動も見学する日々が続いた。
血糖を安定させる為にインスリン調整の為の入院生活も度々あった。
健康な子供からすれば、普通では無い生活。
でもそれが私にとっては普通の生活だし、当たり前の生活になった。
当時は『何で人と違う事をしなくちゃいけないの!!』と叫びたくなる事が沢山あった。
そう思うと心がとても痛くなった。
普通と違う自分に死にたくなる事なんて死ぬ程あった。
普通って何だろうと何度思った事だろう。
でも
ある時気づいた。
自分が当たり前の出来事が自分にとっては普通だと言う事。
そして
普通は自分自身が作る事だと言う事。
考えてみよう
普通の基準を誰が作っているのか?
確かに統計的に見たら、人より違う立ち位置にいるかもしれない。
でも、それが考え方によっては『人とはチョット違う個性』になるのではないか?
そう思える様になってから、心がとても軽くなった気がしたんです。
コロナ時代の過ごし方。
確かに色々な制限がかかる中ではありますが、あなたなりの過ごし方を探してみるのもいいかもしれませんね。
きっと、それが『普通』の過ごし方になっていくのかもしれませんね。