『もう頑張らないで』の鋭さ。

心が壊れてしまった時、
先生に、『もう頑張らないで。』と言われた。『もう頑張らないで。しっかり休めばいい。完璧な人なんていない。頑張らないで。』と。

これを言われた時、私はもっとも絶望した。
先生は私を励まそうとしてくれているのだと、頭ではちゃんと分かっていた。でも、その答えに絶望した。

今まで、自分が納得するために頑張ってきた。
愛されたい人から愛してもらうために、たくさん頑張ってきた。
頑張らないで。という言葉を聞いたとき
もう、挑戦しなくていい。負け試合に出ていくな。と言われた様だった。

頑張り過ぎたから、心が壊れたのではない。
頑張ったのに、不条理な物に負けてしまったから。
その過程を認めてもらえなくて、心が壊れたのだ。
失敗の無い人生なんて存在しない。
失敗で心が壊れたのではない。断じてない。
失敗をした時に、やさしく受け止めてくれる人が居なかったから、私の心は壊れたのだ。
欲しかったのは、頑張らなくていい、じゃない。
頑張って失敗してもいい。その時は私が隣にいる。
これが欲しかったのだ。

もう頑張らないでという言葉は、とても冷酷だ。
突き放している。君がどうなろうと知らないが、頑張った結果心が壊れてしまった様だし、もう頑張らなくてもいいんじゃないか?それで君が数十年後にどうなろうと気にしないけど。といった具合に。

じゃあ先生は、私が今後頑張らない事で、挑戦をしない事で、その後変化する私の人生を最後まで見届けてくれるのだろうか?多分それをしてくれる事はない。

もちろん、『もう、頑張らないで』という言葉に救われる人間もたくさんいると思う。
けれども、決して、その人の背景にどんな思いがあって、何が起きてそうなったのかをよく知りもせずに使っていい言葉ではない。
『もう、頑張らないで』
これはとても鋭利な言葉だ。
頑張ることは辛い事ではない。
頑張った時に、結果が出ようと出なかろうと、
それを認めてもらえない事が、辛いのだ。

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