【休職から7ヶ月】評価、という言葉が大嫌いになった

おはようございます。
みなさまお久しぶりです、アオです。

たまに病む時もありますが、なんとか仕事を頑張れており、なかなかnoteを書くことができませんでした。

はじめに

はじめに、このnoteで初めて私のことを知ってくださった方もいると思うので、簡単に自己紹介をしておきます。

私は去年の秋頃、適応障害になり休職しました。理由はセクハラにパワハラです。

そして1月から別の会社で働いています。転職後も色々あり、大変でしたが、なんとかやってこれています。

詳しくは私の過去の記事をご覧ください。


あの頃の口癖は「評価されなきゃ」だった

今日は評価、という言葉について語ろうと思います。

ハラスメントを受け日々ボロボロになっていた前職時代、私の口癖は「認められなきゃ」「評価されなきゃ」でした。誰に、かというと、そのハラスメント上司にです。

数字が思うように出せない時は「信頼してたのに」と遠回しに「お前のことなんて認めてない」と言われたり、頑張った分評価に反映もされていなかったから、「私は認められていない、評価されていないからハラスメントされるんだ」と思い込んでいました。

でも、今になってわかる。

あの人は私を過大評価していただけで、私が求めるスキルに達していなかっただけ。または、あの人が周りに求めるスキルが高すぎただけ。全てあの人のものさしで私の価値を測られてしまっただけ。

だから、私自身は何も悪くなかったと。故に、評価される必要もなかったと。

そして評価という言葉が嫌いになりました。

周りのために何者かになる必要はない

組織にいるとどうしても評価というものはあるし、自分のためにその評価を上げないと戦っている人もきっと多いはず。

でも、上の理想を叶えた完璧な人材を目指さなくても良いと思います。なぜなら、自分、が死んでいくから。

完璧主義、負けず嫌い、どこか孤独、嫌われるのが怖い。そう思ってるみなさんは、頑張ってしまうんだろうけど、どうか自分を守ってあげてください。

7ヶ月前、死のうと思って深夜に大通りに向かっていたこんな私でも、今は週5×フルタイムで働けるようになりました。過呼吸もしばらくないです。

いつもの景色でもほんの少し別の角度から見ることで、「こんなことで悩んでいたんだ…笑」ってあの頃のことを笑える日が来ました。

それと、嫌なことや落ち込むことがあったりしてももう自ら命を…なんて思わないし、むしろ、「あの時死んでいたら経験できなかったこと。だからどうせなら思いっきり楽しもう!気にしないで幸せに生きよう!」と思えるようになったのです。

それではまた

いよいよ私が住んでいる地区は梅雨入りをしました。曇りだし湿気だしで気分も落ち込みがちですが、今日もゆるく楽しく気楽に生きてみましょ。

また書きにきます。

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