隣の芝は真っ青

もう私の中で溢れちゃって止まらないので
ここに書き出してしまう。
私の吐き出したいこと。

私は妊活をしていてやっと赤ちゃんを授かった。本当に天にも昇る気分で、もう将来のことを夢見ていた。つわりも結構あったりしたけど、これからのことが楽しみの方が大きくて辛くても幸せを感じてた。病院でも妊婦健診も始まって母子手帳に記録されてく情報もすべて愛しくて、エコー写真も主人と一緒に見てはやく会いたいねなんて言っていた。

そんな時だった

赤ちゃんの心音が止まった
あとは走馬灯のようでもう目の前が真っ暗というか、本当に受け止められず自分の心臓の音だけが耳に聞こえていた。
家に帰ると涙がぽろぽろとでてくる。慰めてくれる声も聞こえない。
信じられなくて、なかなか受け止められなくてお腹にいる赤ちゃんがもしかしたらと思って、手術も保留。お腹に入れて置けるギリギリまで待ってしまった。
しかし、急に高熱が出て大量の出血。緊急で手術を前倒しでやることになった。
初めての手術。怖くて不安で、なにも悪いことしてないのに罰を受けた気分だった。
その横の部屋では赤ちゃんの元気な鳴き声。私は今からいのちを排出するというのに。
麻酔から覚めたらいのちひとつぶん軽くなってしまったような感覚だった。
喪失感っていうのかもしれない。
覚醒してくると感情が全部押し寄せてきて涙が止まらなかった。
季節は春だった。
電車に乗ればお腹の大きな妊婦が幸せそうだった。外を歩けばベビーカーを押す夫婦がいた。家にいれば友達の妊娠安定期の報告があった。保育園に新しくはいる乳児を抱える母親、親と手を繋いで学校に向かう子どもたち。
私はその何者にもなれなかった。
ずるいと思ってしまった。
ひとりで妬む醜い心、そう思う自分が嫌だと思う自己嫌悪。誰にも言えない。辛い。苦しい。
その後に再開した妊活も、焦りと不安からなかなか上手くいかなかった。
なにもかも上手くいかない自分が腹立たしかった。
時間だけが過ぎていく。
そんなときに妊娠がわかった。
天にも昇る気分と同時にこの妊活からも解放されると思ってしまった。
不安の方が大きかった。
病院でも良かったねと声をかけてもらったり喜んでくれて、つられて前向きになった。
エコーも順調で前回の子の時の週を越えた。
もうすぐで安定期だ。
そんな頃、また嫌な感じがあった。
つわりも急になくなった。
心臓がきゅっとする。
胸が張って痛いくらいだったものが、気のせいだったというほど痛みがなくなった。
お腹が凄い張って座ることが苦しいほどだった。この状態が3日くらい続いた。
定期検診で確認。
赤ちゃんの心音が止まった。
もう、私は子どもを授かることがいけないのだと思ってしまった。
幸せであってはいけない。
そういう風に決まっているのだと思ってしまった。
口から出てきた言葉は『ごめんなさい』だった。
季節は春から夏に変わる頃だった。
病院から帰る時どしゃ降りの雨で、この季節で一番寒かった。
心にぽっかりと穴が開いた。
何も感じなかった。感情が追い付いてなかった。漠然とした何かを感じていた。
手術もすぐに予約もした。
やっぱり手術は怖くて不安でたまらなかった。
終わったあとは大きな喪失感と絶望がたくさんの槍となって自分に降り注いでくるようだった。
もう何も喜べなくなっていた。
他人の幸せを何一つ嬉しいとおもう感情すら欠落してしまったような気がした。
LINEのアイコンが結婚式からこどもの写真へ次々と変わる。
芸能人の妊娠報告ですら妬ましくてたまらなかった。
焦りと待ってくれない時間だけが現実だった。
今となっては少しずつだけど気持ちが落ち着いてきたのだけれど、やっぱり二人目が辛くて今でもどうしてとわんわん泣いてしまうことがある。
しばらく寝れない日々がつづいたりもした。身体が痺れたように、身体の中を何かが這えずっているような感覚に襲われて朝方や夜中に飛び起きる状態が続いたりした。

それでも少しずつ日々を取り戻していかなくては自分が音を立てて壊れていくような気がして必死に前を向いた。
嫌いな自分も愛してあげることにした。
たまに後ろを振り返ってもいい。
わんわん泣いてしまう日々があってもいい。
あるのは現実だけなのだから。
現実を生きるにはそうするしかない。
きっとこの深い傷は癒えることはまだまだないけど、お気に入りの服でも着ておけば傷は目立たない。
だから今日も今という服を纏って暗い夜道を歩く。ちょうど上を向けばまだ桜が見えるはずだから。

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