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社会人1年生は基本を教えてもらえない〜あの時の謎の印刷用語を今整理したら色彩学の基本だったという話

卒業式も終わり、いよいよ就職、転職という方もいらっしゃることでしょう。ただでさえ緊張するのにコロナもあり、職場の側の受け入れ体制が中途半端にしか機能していないのでは、という不安をお持ちの方もいるかもしれません。コロナという特殊な事情がなくても社会で働くことに慣れるには時間が必要なものです。

慣れている人には当たり前で分かりきったことであっても、その経験が初めてという人にとっては何もかもが疑問だらけ。特に社会人になると、そんな新人のもたつきなど気にもせずにベテラン勢だけでどんどん話が進行していってしまいます。何の準備運動も指導も素振り練習もないままいきなり試合本番に連れ出されるようなもの。飛び交う用語はもちろん、ルールも作法も体の動かし方も教わらず、自分で見てやってみて聞いたりして走りながら習得することを求められます。うーん、よく分からないけどこんな感じかな?とか思っているうちに、お前がゴール決めて来いと急にボールを渡され、慌てながらも全速力で走って目一杯キックするも盛大に空振りしてズッコケたうえ、ご丁寧に反撃を受けて大失点。みんな最初はそんなもんだから気にするな、と肩を叩かれるなんて、日常茶飯事です。

そう、あまりにありふれた光景なのでそれすらベテラン勢は気にもとめていません。ですので、気にせず気負わず気楽に走り始めてみてほしいと思います。

さて、私も新人時代には用語の意味が全くわからず、メモをとるのもひと仕事という有様でした。幸い自分の関心のある「色彩」に関わる仕事だったため、なんとか投げ出さずに済んだというのが本当のところです。関心がある、と言っても決して専門用語が分かるわけでも、専門知識があるわけでもなかったので、分からないことを指導係の上司によく尋ねていました。専門用語の意味とか定義とか、関連する知識について。そして、ここが重要な点なのですが、その上司はまともに回答できないことが珍しくなかったのです。驚愕…。

もしこの文章をお読みの方の中に今年はじめて社会に出るという方がいらっしゃったら、きっとがっかりされることかと思いますが、社会人にはこういうことがよくあります。新人が盛大に失点するのがありふれた光景なら、ベテランの頭に基本的なことが入っていないというのも、これまたありふれた光景です。知識の使い方、活用法には習熟していても、知識を掘り下げた理論的裏付けや、体系化、用語の定義といった基礎部分は疎かにしたまま、という人は珍しくありません。社会人は知識を活用して他者に便益を与え対価を得るのが仕事ですので、活用法にばかり気を取られていてあまり深く考えない習慣が身についてしまっているんですよね。

私が上司に投げかけた質問はまさにそれだったかもしれません。上司の知識の空白部分を突いてしまったので、上司はしどろもどろになってしまったんです。別に私が鋭かったわけではありません。私だって、よく外部の方からの質問に不意を突かれて言葉に詰まったことがあります。でも言われてみれば確かにそれって今まで曖昧だったよね、とか考えたことなかったよ、ってことが結構この世の中にはまだ手付かずで置き去りにされていると思います。新人の皆さんの最大の武器が実はそれです。「あのー、どうしてコンセント抜いたままにしてるんですか?」みたいな素朴な疑問で、これまで続けられてきたことを根底からひっくり返せるのが新人の視点だったりします。あまりに基本的すぎて今ゲームに参加してる人たちには気付けないことに気付けるのが新人なんです。

で、話がだいぶそれてしまいましたが、私がある商品のパッケージのグラビア印刷の立会に初めて参加したとき、それはそれは理解不能な用語のオンパレードで参加メンバー達の会話に全くついて行けなかった訳で、当然終わったあとで上司にこの言葉の意味は何か、とかどうしてこんなことをすることになったのか、とかあれこれ聞く訳です。

そのうちのひとつが、「色み」とは何か?という質問でした。

デザイナーがイメージしたデザインの色を、製品本番でも印刷で再現できるような加工条件を見極め確定するために、工場の印刷現場に立ち会って印刷条件を指示・調整する作業を、印刷立会と言います。色について、これでは赤すぎる、とか青すぎるとかあれこれ騒ぎながら、赤くしたり青くしたりして丁度良い色を再現できる条件を絞り込んで行くわけです。で、イメージ通りになったら晴れて量産開始となり、それ以後のロットの加工はここで決まった条件に従って行われます。ですので、とても重要な作業です。当然ながら、色に関する用語が飛び交います。

という中で、「色み」という単語が頻繁に登場しました。「色」ではなく「色み」です。新人だった私は、この2つの単語に何か違いはあるのか?と疑問に思い、「色み」とは何か?「色」との違いはあるのか?と質問したわけです。

基本でしょ?

でも上司は答えられませんでした。なんて言われたかも覚えてません。しどろもどろで日本語になってなかったからです。結論は、「そのうち慣れるから大丈夫」とのよくわからない回答。こんな基本中の基本の用語の定義すら理解せずに仕事をしているのか、と随分呆れた覚えがあります。

この「色み」という言葉、印刷業界の用語なのか、科学用語なのかは分かりませんが、とにかく頻出の基本用語であることは間違いありません。そして、聞いていると「色」とは異なる意味合いで使用されているように覗われます。例えばこんな風に使われています。

例1
(例1)印刷現場から試し刷りのサンプルを手渡されたデザイナーが、まじまじと見つめ、「このタイトルの部分のオレンジは色みが違うな。これだと黄色すぎる。もっと赤みが欲しい。ここは特色?」とひと言指摘を入れた。それは商品名を消費者に伝える最も大事な部分だ。すかさず印刷会社サイドが「はい、特色です。それでは、マゼンタを足しましょう」と応じた。

「色が違う」ではなく「色みが違う」。「赤がほしい」ではなく「赤みが欲しい」。「み」って何だ?って思いませんか?赤っぽい感じが欲しいと言っているのでしょうか。それなら、「色み」は「色の感じ」という意味でしょうか?

もうひとつ例を。

例2
(例2)デザイナーの指示通り赤さが増したサンプルが刷り上がってきた。再び修正されたサンプルを手にしたデザイナーがまたもじっくりと見つめ、今度はこう言った。「色みはだいたい合っているけど、これだと強すぎて全体から浮いてしまっている。もう少し薄くしたい」すると印刷会社は「それではメディウムを入れましょうか」と応じた。

「色みは合っている」にも関わらず「もっと薄く」とな?「色み」とやらが合うだけでは駄目なようです。しかし、あと何が必要なんでしょうか?やっぱりそもそも「色み」って「色」とは違うの?って更に訳がわからなくなります。色の雰囲気は合ってそうですが、濃いとか薄いとかは雰囲気ではないのでしょうか。

最後の例。

例3
(例3)2度目の指示に合わせて「薄く」されたサンプルが三度刷り上がってきた。デザイナーは「うーん」と腕を組み考え込む。その様子を周囲は緊張気味に見つめる。しばらくの間、難しい顔をしていたデザイナーが重々しく口を開いた。「ほんの少しだけ濁しを入れてみようか…」印刷会社の社員たちはハッとした表情で互いに目を合わせた。「あのー、濁してしまうと元には戻せませんが…」印刷会社の営業担当者がおそるおそる申し出ると、デザイナーは決心をつけたという様子で口を結び「それで構いません」と答えた。営業担当は安心した表情を浮かべると、「墨を少し入れて」と機長に指示を出した。

色の話をしてきたはずなのに、今度は「色み」という言葉が登場しませんでした。どうして?皆さんはこの謎、分かりますか?

新人時代の私はチンプンカンプンでしたけど、10年以上こんな感じの仕事を経験してきた中で、私はなんとか一つの回答にたどり着くことができました。これから初めて「印刷立会」なるものを経験される方も、もしかしたら同じ疑問を持つかもしれません。そのとき指導係が教えてくれればそれで良いですが、私のように教えてもらえないかもしれませんので、ここにひとつの回答を書いておきたいと思います。

印刷業界で使われる「色み」とは、厳密な定義はやはり不明ながら、色彩学で言うところの「色相」のことだと考えて頂いて構いません。「色の感じ」や「色の雰囲気」程度のニュアンスも含んでいますが、目標となる「色相」を目指して調整する場面で頻出する言葉です。

色彩学では「色」は3つの要素で決まるとされています。「色相」、「彩度」、「明度」です。この3つについて少し見てみましょう。

「色相」とは、赤とか青とか黃とかの区別のことです。美術の教科書に載っている「色相環」を、例えばマンセル表色系という方式では100等分して、100個の色相を定めています。私達が日常で使う色はほとんど色相しか指していないでしょう。信号が黄色になったとか、ピンクのチューリップが咲いたとか、紅葉の葉っぱが緑から赤に変わったとか、このミカンは随分赤っぽいオレンジ色だとか。では、「彩度」と「明度」とは何でしょうか?

実は色は色相だけでは決まりません。例えば、赤い絵の具を筆につけて絵を書いているとして、最初のうちは濃くはっきりした赤い線が書けていたのに、たくさん使っているうちにだんだん線の赤さが薄くなっていき、最後には白い紙に筆の跡をつけているだけになってしまった、という経験はありませんか?この色の濃さに相当するのが「彩度」です。どれだけその色が鮮やかか、という尺度です。

もうひとつの「明度」とは何でしょうか?明るさの度合いのことでしょうか。でも明るさって?「明度」というのは、白と黒の量のことです。白から灰、黒へと至るグラデーションを思い浮かべてください。人間は、白の量が多ければ明るく感じ、白の量が少なくなって灰色から黒へと近づくにつれ暗く感じますよね。どれくらい白いか、あるいは黒いかという尺度が「明度」です。

で、結局それらの関係は?

色というのはよく見ると、純粋な色と白と黒の3つの量に分けることができます。そのうちの純粋な色の量が彩度に相当します。彩度MAXは純粋な色のみ。そこに白か灰か黒がすこしずつ混じっていくと彩度が下がっていきます。それに連れて色が失われていき、最終的には白か灰か黒へと到達します。

さて、先程あげた3つの例を今一度見返してみてください。実は、この「色相」「彩度」「明度」の3つを順に調整していたのがお分かりでしょうか?

例1では、オレンジ色を赤くして色相をイメージに合わせました。

例2では、そのオレンジ色を薄く、すなわち純粋な色の量を下げ、彩度を落としました(メディウムというのは透明なインキのことで、絵の具に水を含ませるように、色を薄くする効果があります)。

最後の例3で、墨(黒)のインキを混ぜて明度を下げました(黒いインキを混ぜる操作を、印刷業界では「濁す」とか「汚す」と言います)。

そう、印刷現場の色の調整はよく観察してみると、実に基本に忠実だったんです。簡素化してみれば、(1)色相を合わせる、(2)彩度を合わせる、(3)明度を合わせる、という作業なんですね。常にその組み合わせです。ですので、ここでご紹介したポイントを意識すると、印刷立ち会いの時の指針になりますよ。

でも、ほとんど色彩理論に基づいた「彩度」とか「明度」とか言う用語は印刷現場では使わないんですよね。どうして使わないのかは私もわかりませんが。

ということで、印刷の現場では「色み」とはおおよそ「色相」の意味合いで使用しています。そして、印刷立ち合いで「色相」「彩度」「明度」の調整に格闘した末に完成したイメージ通りの成果物が「色」と言うわけです。

今回の例では、オレンジ色しか対象にしませんでしたが、それはあくまでデザインの一部。実際には他にも調整すべき箇所や色は複数あり、そしてここを調整すると別の箇所にも影響する、と言う悪夢のようなパズルを解いて行かなくてはならないのが印刷立ち合いです。面白くもあり、ひとたびドツボにハマるとなかなか色合わせの迷路から抜け出せなくなり、参加者全員が地獄を見る特別イベントでもあります。

もしデザイン関係や印刷関係の仕事に初めて就くよ、という方は是非この記事を参考にしてみてくださいね!!また、それ以外の方で色彩に興味をお持ちだった方は色彩の考え方の参考にしてください。

読んでみて面白かったら「スキ」をお願いします!好評でしたら続編も書いてみたいと思います。





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