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「役に立つ」が飽和してきた

「役に立つ」コンテンツが溢れかえっている。Googleの検索アルゴリズムが日々進化を遂げ、ユーザーにとって有益なコンテンツが上位に表示されているからだ。

スパムや内容の薄いコンテンツは評価されない。ユーザーにとって有益なものを優先的に提供しようとしている。この方針には、とても賛成できる。

そしてこの方針はあらゆるプラットフォームで採用されている。

さらに、コンテンツを作る側もそのことを理解していて、有益なものをつくろうとする動きが大きいように思う。では、有益なものとは何か?

そこで出てくるのが「役に立つ」という指標だ。役立つ情報を提供することで、有益なコンテンツであろうとしたのだ。

実際、私自身もよくまとまった情報を提供してくれるコンテンツは重宝しているし、有益だと感じている。

「役に立つ」こと自体を否定するつもりはない。(むしろ多大な恩恵を受けている)

しかし少し違和感を覚えるのは、「役に立つ」ことがハック的な手法として確立してしまったことに対してだ。

フォロワー数を増やす、ユーザー数を増やすための手法として「役に立つ」ことを提供する。悪くはない。むしろ正しい姿かもしれない。

しかしこの手法が流行りすぎたせいで、役に立つか否かという指標が巨大になりすぎてしまった。「役に立つ」ことだけが有益であると言えるのだろうか?

これは単なる私の好みの問題だが、役立つものばかり見せられるとちょっと疲れてしまう。たまには何の役にも立たないものが見たい。

検索エンジンで何かの単語を検索すれば

「◯◯10選」「◯◯ベスト3」「おすすめの◯◯」

などのコンテンツがヒットする。これらはとても役に立つ。

でも、たまには「役に立つ」以外の切り口が見たいのだ。

役に立たないものばかりをレコメンドしてくれる検索エンジンがあったなら、私は喜んで使うだろう。

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