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「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」2021/04/25

4月25日は故・成田正則会員の命日です。

主宰する異業種交流会は、発会27年目。現在、正会員数は60名を超えます。この長い年月の間には、若くして物故された会員もいました。

キレ者の社会保険労務士だった田寺典江さん。はつらつ美人の建築デザイナー・綿引こつえさん。この交流会を私と一緒に立ち上げた、大河原 勝さん。それぞれが、まだまだという年齢で”鬼籍”に入りました。

そして今日、4月25日は、故・成田正則会員の三年目の命日です。

成田会員は、2018年2月例会の出欠に、Facebookのメッセージで、病床からの酸素マスク着用の写真とともに、「肺がんのステージ4と診断され療養中」「よって、例会欠席します」と唐突に送信して来ました。

私は「例会どころじゃないだろう!!」と、かなり動揺しましたが、その場はつとめて冷静を装い、いつも通りのコメントを返信しました。

それから2度の月例会案内を作成している間に、彼の病状は急激に悪化したようで、ついには帰らぬ人となりました。


「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」

芥川龍之介に「枯野抄」という短編があります。松尾芭蕉が大阪の商人の裏屋敷で亡くなる臨終の際、そこに集まった弟子たちの胸に去来した様々な思いを描いた作品です。

多感だった中学生の時に読んだ小説で、芭蕉が詠んだという辞世の句は、今でも記憶に残っています。

本文を抜粋、紹介します。


「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」・・・枯野抄

事によるとこの時、このとりとめのない視線の中には、三四日前に彼自身が、その辞世の句に詠じた通り、茫々とした枯野の暮色が、一痕の月の光もなく、夢のやうに漂つてでもゐたのかも知れない。
(中略)
云わば、来る可きものが遂に来たと云う、安心に似た心もちが、通りすぎた事も亦争はれない。唯、この安心に似たこころもちは、誰もその意識の存在を肯定しようとはしなかった程、微妙な性質のものであつたからか、
(中略)
枯野に窮死した先達を歎かずに、薄暮に先達を失つた自分たち自身を歎いてゐる。が、それを道徳的に非難して見た所で、本来薄情に出来上つた自分たち人間をどうしよう。

この短編は、臨終に立ち会った弟子たちの心中を表し興味深いものです。

来るべきものが遂に来たという安心感にも似た気持ちを感じている自分たちに驚いて見たり、また一方で、師匠の死相の浮かんだ顔を不気味に、嫌悪感さえ持って見ている弟子たち。

そんな自分たちの心もちを見透かされてるようで自己嫌悪に陥ったり、どこか第三者的な観察眼でそれら全てを傍観している気持ち。誰もが師匠を思ってるようで、自分のことを思っていて、師匠を失った後の自分を嘆いている現実を描きます。

つまり、人間というものは、どこまでも自分本位なものの考え方しか出来ないという悲しい性を、龍之介は書きたかったようなのです。

この小説の描写が、私という14歳の少年の心を捉えたのは、その時期、私自身が父親の臨終を経験し、ここで表現された弟子たちの心もちの全てを、ある意味で体験したからです。


トラウマとなった少年の体験。

私は父の死を前に、父が苦しみから解放された安堵感と、自分がこの一年以上にわたる自宅での長く暗い重苦しい看病の日々から解放された喜びに浸り、正直、悲しいという気持ちが湧きませんでした。そして、そんな自分の気持ちに気づき、自己嫌悪に陥りました。

私の父の今際(いまわ)は、1月の寒い朝でした。死の床に臨んだ彼は、その視線を虚空に漂わせていました。天井に視点は無く、遥かその先を見据え、私たち家族の呼びかけにも応えずに、消え逝く意識の中で、もしかすると、彼自身の60年という歳月を反芻していたのかも知れません。

小説でも、芭蕉の様子を、>遥な空間を見据ゑてゐる、光の褪せた瞳の色、と表現しています。それは、まさにその時私が見た情景そのものでした。

これが、私のトラウマとなりました。


以来、近しいひとの最後のお別れの顔を見るコトへの足が遠のきました。お世話になった田寺会員のときも、大好きなこつえさんの時も、兄貴分のような大河原さんの時でさえも、自分のこころの内が見透かされているようで、そんな事を理由に、行きませんでした。

正確には、行けませんでした。

2014年4月例会1560676_666346006734332_1131361294870139602_n (2)


生前の成田さんは、俱楽部運営に私が悩んでいる時や、参加者が一時期かなり低迷し落ち込んでいる時に、必ずいつも月例会に参加してくれ、「金原さん大丈夫だよ!!」と励ましてくれる存在でした。

彼の葬儀には、何故か彼が待ってくれている気がして、私は会いに行くことが出来ました。

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遺影の彼は、そんな私の心の内のざわめきなどにはお構いなく、ただただ穏やかで、私はその日、葬儀には相応しくなく、励まされて帰路についたのでした。

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