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資格というおもちゃからさようなら。

長い間、悩んでいた。
大学を6年通い、親に学費を出してもらってとった資格をどうするか。
けど、流れてきた歌を聴きながらふと思った。
そうか。資格はおもちゃみたいなものか、と。

星にまで願って手に入れたおもちゃ。
手に入れるまでとても頑張ったし、親にもお金をたくさん出してもらった。高価なおもちゃ。

けど。

すごく欲しくて、値段も高くて、やっとクリスマスプレゼントで買ってもらって、でも、使ってみたらあんまり面白くないおもちゃってあったよね。

そのおもちゃ、面白くないと思いながら使い続けてる?

義務感で使って、遊んでも楽しくなくて。そんな状態をずっと続けている、ってヤバイよね。
すごく不自然だと思う。

面白くないなら他のおもちゃで遊んだらいいんだよ、って声をかけたい。

そのことで、おもちゃがもったいない、は、そらそうなんだけど、
高いお金を出してもらって、心から願って手に入れたおもちゃ、そのものの価値は残ると思うんだ。

買ってもらったこと、頑張ったこと、そこは大事に感じている。

他のおもちゃで遊んだって、それが大事なおもちゃだってことは変わらない。

面白いものを探して遊びまわるのは、こどもとして自然なこと。

支払った対価が大きいからといって、必ずよいものが手に入るとは限らない。
それは、当然。

支払った対価に執着して、現在をおざなりにすることこそ、もったいない。

そう、気がついた。

人生は、
人によって意味がちがう。

私は、
この世界を感じて、美しいものをみて、この時間を味わうためにやってきた。
生きるということを体感するためにやってきた。

どうせなら、面白いおもちゃで遊びたい。
自分の好きそうな、面白そうなおもちゃを見つけたら、今もっているおもちゃは置いておき、現在(いま)ほしいおもちゃを手に掴みたい。
また昔のおもちゃで遊んだっていい。
心が何を選ぶかは、自由なんだ。

私はそのために存在している。
心の選択を現実に調整するために。

過去のためではなく、現在(いま)のために。


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