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スピンオフ小説『これは誰のせいだ?』後編

前編はこちらです

――――――――――――――

 永治は和釘の声を聞きながら、レンタカーを走らせる。向かう先は「藍槌燈界」という名の人物が待つ隣県のはずれ。詳しい事情も説明されぬままに、三本の釘を運ぶよう叔母に頼まれたのだ。

「言っておくけれど、俺は運転に集中するから、話しかけるな」
『どうせお話に混ざりたくなりますよ』
「うるさい」
『ほらね!』
 それみたことかと言いたげなムナカタの声にいらつき、永治は乱暴にアクセルを踏んだ。目的地まではまだ距離がある。ラジオを流そうと思ったが、また釘が余計な知識を得ては困ると思い、迷った指先をハンドルに戻した。
『他のみんなは、今頃どうしてるのかな』
『神社の建て替えがあるって聞きましたから、そこに使われるんじゃないですか』
『神社か、いいな、カッケェなぁ』
『僕らは何になるんでしょうね。特注っていう響きに浮かれていて、詳しく情報を集めませんでしたね』
『エイジさんなら知ってるんじゃないかな』
『おーいエイジ、どうなんだそこんとこ』
「……」
『ダメだ、すねてやがる』
『知らないんだ』
『あの工房ではしたっぱだからだと思いますね』
 反論したら負けだ。窓の外は青空と木々、単調な景色が続くため、釘の声にどうしても耳を傾けてしまう。釘たちも 、返事がない永治を諦めて別の話題にうつった。
『飛行機にも乗ってみたかったですねぇ』
『あ、じゃあ帰りは飛行機に乗ろう! 名案!』
「お前たちに帰りなんてないから……」
 ついツッコミを入れてしまった永治の声に、釘たちは沸きたつ。
『返事してくれた~!』
『だんだん態度が軟化してきてますね。いい傾向です』
『寂しいならおしゃべりにまざってもいーんだぜ、エイジ』
「1号、人をおちょくるな」
『短気なヤローだ。モテないだろ!』
「うるさいな」
『おっ、そりゃ図星の反応だな!』
『えっあの……永治さん、モテないの ?』
 バカにしたような1号の言葉に続き、探るようなクギシーの声。
「その聞き方、素直に腹立つな」
『あの、これでもマジメに質問してるので、ちゃんと答えてほしいの!』
『おいおいクギシー、そんなマジな声だしてどうしたってんだよ』
『クギシー、顔が赤いですよ?』
 和釘がざわめきはじめたので、赤信号ついでに永治は桐の箱を覗きこんだ。顔が赤いというムナカタの発言があったが、どれも等しく、釘、釘、釘。違いがまったく分からない。
 青信号になったので顔を離せば『アッ』という、名残惜しそうなクギシーの声が残った。
『オマエ、まさか……エイジのこと、気になってるのか?』
『うっそ、本気ですか! え、恋する釘ちゃんってことですか……えー、分からないな……どこがいいんですか? 顔? 声?』
「おいやめろ、それ以上掘り下げるな」
 会話が思わぬ方向に転がったので、永治は声を荒らげる。この旅を車移動に変えて、本当に良かったとさえ思う。一歩間違えれば電車内でこんな話になったかもしれない、そう考えばレンタカー代は惜しくない。
『えーっと、恥ずかしいな、ふふ……一番はね、つくってもらった時の、手のあったかさ、とか、かな……?』
『ヒューウ!』
「だから、もうやめろ」
『手から離れたあとの、モヤモヤするけれど悪くない気持ちはなんだろうって、ずっと思ってた。でもね、ラジオで聞いた音楽が教えてくれたんだ。これが、恋っていうことなんだって』
「ポエムかよ」
『歌詞だよ!』
 永治は、知っている。釘が人間に、恋愛感情を持たないことは、ない。
 かつて永治の姉に惚れ、釘の女神だと褒め良さした誉めそやした釘がいた。あの時も居たたまれない気持ちがあったが、今回はその対象が己ということで、複雑な気持ちが倍増になる。
 永治にとって、釘の恋慕の情は、自分が秘める感情のように錯覚してしまうので。
 つまりクギシーの気持ちは、強烈な自己愛の証明にもなりかねない……。
「つくってくれた人なら、叔父さんでもいいだろうに」
 自分で提案しておいてなんだが、叔父が好きだと言われたとしたら、どのような顔をすればいいのか永治には分からない。
『でもさっきで確信した。エイジさんに触ってもらった時、体があつくなる感じがして、心の底がぽわ~ってなって。ずっと、この手の中に収まっていたいなって』
『恋……じゃないですか、まぎれもなく……!』
『茶化してごめんなクギシー。オレ、オマエの本気ナメてたわ……』

 永治は思わず路肩に急停車すると、桐の箱を手に取った。釘たちが「わっ」と声をあげる。
「俺を好きになるな!」
 渾身の叫びである。
「くそ、俺はどうして……釘に、無機物に……こんな説教を……ッ!」
『うう、ようやく自覚したこの感情、愛しい人に否定されるなんて……わたし、耐えられない……ショックで職務を全うできそうにないよ』
「耐えろ。あとお前は打たれるだけだから、職務はつつがなく全うできる」
『人間と和釘は、いつだって悲恋に終わるんですね……』
「成立した話なんて聞いたことがない」
『そもそもオレら、ホウセイとエイジの子みてーな存在だからなぁ』
『1号! とんでもない着眼点です! これはあまりにも背徳的ですね!』
「その例えも、叔母さんに申し訳なさすぎるからやめてくれ」
 あくまで共同制作物という扱いである。それに、鉄を打ったぐらいで父になった覚えはないと、いつかどこかで思ったことを口にする羽目になった。
 釘にとっては、作成者すなわち父のような存在かもしれない。そうなると、父に恋する釘という存在は、ムナカタの指摘通り背徳だ。和釘にそういった昼ドラ要素なんてまったく求めていないのだ、少なくとも永治は。
「お前たちは人の手に渡るんだから、本当に、余計な感情は抱かない方がいい」
『やだ、別れたくない。一緒に旅行するのがこんなにも楽しいのに』
「でもこれ、納品のための移動だからな」
『ああ、どうせなら納品前に、景色のいいところで記念写真を取りましょうよ』
「釘と記念写真? 俺を不審者に仕立てあげたいのか」
『記念写真いいじゃん、それ見てオレたちのことを思い出して、枕を涙で濡らせよな!』
「俺の思い出に食い込もうとするんじゃない」
『オレたち釘だからな』
『穿つのが仕事なので』
『エイジさんを想った釘がいるってこと、永遠に忘れないでね』
「蓋を閉められたくなければ黙っててくれ!」

 *

 永治は道の駅に立ち寄って、休憩をとる。
 このあたりの名物だという饅頭をひとつ購入し、缶コーヒーで胃に押し込んだ。日常で口にしないものを食べれば、ようやく旅行らしい雰囲気になってきたように思える。

 和釘たちが外に連れていけとうるさいので、桐の箱ごと持ちだして展望台へ向かった。釘に景色が見えているかは分からないが、蓋をあけて外気に晒す。特別製だと彼らが自負する鉄の身は、風の動きぐらいは感じているかもしれない。
 小高い丘の展望台からは、さすがに己の住む街は見えない。あの方角からわざわざ車を走らせてきたのかと、永治は感慨深く想って目を細めた。
「……ハァ、そろそろまた手紙が来てるんだろうな」
『おや、手紙とは?』
「最近、不気味な手紙が届くんだ」
 叔父に打ち明けるのはさんざん渋った内容を、和釘相手であれば素直に口にできた。
『不気味な手紙……』
『呪いでしょうかねぇ?』
「釘はすぐに呪いとか言い出す……」
『むむっどこの釘と比べているんですか!』
『嫉妬は見苦しいぜ、クギシー』
『まぁ実際に釘というのは、呪具の一種として使われることも多くてですね』
「五寸釘の話だろう。というか、絶対ラジオでそんなこと聞かないだろ」
『なにも深夜ラジオはエロい番組ばかりじゃないんですよ?』
「釘のくせにどこまで理解しているんだ」
 手紙の件を釘に告げた所でなにひとつ解決することは無かったが、それでも多少の気晴らしにはなったと永治は思う。

 そろそろ出発するぞと展望台を後にしようとしたが、1号とクギシーがせがむので、記念写真とやらを撮ることにした。
 永治は決して写りたくなかったが、クギシーがしつこく騒ぐので。手のひらに和釘を三本をのせて、道の駅を背景に、己の手のひらの写真を撮る。
『きっとインスタ映えしますよ』
「インスタはやっていない」
『写真、大事にしてね』
「……すぐにデータを消すようなことはしないと思うが」
『印刷して仏壇に飾っとけよ!』
「納品したからって死ぬ扱いにはしないぞ」
 永治はそっと桐の箱を閉めると、車に戻った。目的地までもう少しだ。

 *

 カーナビが示した先に待っていたのは、大きな日本家屋だった。
 和釘がふんだんに使われていそうな建造物だが、耳を澄ましても何も聞こえない。
 和釘たちも、桐の箱で黙り込んでいる。木々に囲まれた日本家屋の雰囲気から、何かを感じ取っているのかもしれない。

 今の時間は、寄り道をしたので午後四時半。訪れるには早かったかもしれないが、時間つぶしも面倒だった。何より和釘の相手をしながらの旅行は疲れるものだったので。
 ボストンバッグを持ちなおして呼び鈴を押せば、中からは日本家屋と不釣りあいな、ニューゴスに分類される出で立ちの女性が姿を見せる。永治はファッションには疎いので「なんだか全身黒い女が出てきたな」程度の捉え方しかできなかった。
 彼女の歳は永治と近いように見えるが、化粧が濃いので真偽は分からない。
「やっと来たかぁ納品、あんたが宗方永治だよね?」
 魔女のような雰囲気に反し、彼女の喋り方は荒かった。
「そうだが、えっと」
 永治はポケットから叔母のメモを取り出し、依頼人の名前を確認する。
「『藍槌燈界』という人は」
「そ、うちのこと。あいづちとうかい、霊媒師やってまぁす」
「霊媒、師……」
 聞き慣れない言葉に、永治の体がこわばった。非日常の気配が濃くなっていく。瞬間的に、帰りたいとすら思った。
「どこのスポーツマンかと思ったぜその格好。普段からあの格好してるワケじゃないんだなぁ。写真の方がいい見た目してたよ」
「写真?」
「雑誌に載ってたやつ。まぁいいから上がりな。ここで立ち話したってしょうがないだろ」

 促されて敷地内に足を踏み入れる。手入れされた広い庭園を通り、いよいよ玄関に入った永治は立ち尽くした。奇妙な調度品が所狭しと並んでいて、湛える雰囲気は重苦しい。
 永治の家は新婚向けの新築なので、歴史あるこの家屋とは真逆の立ち位置にある。風の通るような音が断続的に聞こえた。窓があいているのかもしれない。

 そのまま客間に通された。燈界はカップに花が沈んだお茶を出す。『工芸茶』と呼ばれるものだが、永治には「魔女みたいな飲み物をだすな」としか思えなかった。
 永治はお茶を口にすることはなく、桐の箱を卓上に置く。
「依頼の品だ。確認してくれ」
「おうともさ」
 燈界は手套をつけると、うやうやしく桐の箱を開けて、和釘を手にとった。そういえば己は素手で触りまくったなと、永治は納品物に対して申し訳なく思う。
 マスカラによって生い茂るまつ毛がくっつくほどに目を細めながら、燈界は釘に刻まれた線の数を確認する。一本、二本、三本と、順番に。
『いひひ、くすぐってぇな』
『ええん、エイジさん、わかれたくないよぉ』
「……うん、問題なさそうだけどさ、ちょっと質落ちた? 数多めに頼んでおいてよかったなぁこりゃ」
『質落ちって、このアマ、芳成さんバカにしたらその身穿つぞコラァ!』
 普段は理性的なムナカタの声が急激に荒ぶった。
「落ちつけ、ムナカタ」
 自分にしか聞こえないとしても、永治は声をかけずにはいられない。
「は?」
 手套をはずしながら、燈界が明らかに不機嫌そうな声を返した。
「……いや、なんでもない。藍槌燈界は、父の知人だと聞いているが」
「そうそう。重実さんさぁ、引退するには早いだろうにどうしたんさ。脱サラでカフェでもやる系?」
「火事で亡くなった」
「うっそ、マジ?」
 それは知らなかったと、燈界は黒い口紅を白い手で覆い隠した。爪先は黒と銀で塗られて、不気味に煌めいている。
「そっかあ、最後に会ったのは五年前だから、儀式釘の思い出が美化されてんのかも。悪いこと言ったなぁ、さっきのは忘れて忘れて」
「儀式釘?」
「驚いたな、あんた、この和釘がどういう役目を持つのか知らないのかよ」
 通常よりも大ぶりの和釘を指差し、燈界は嗤った。
「こいつはこの地の大扉の封印に必要な呪具で……」
「もうじゅうぶんだ」

 永治は慌てて立ちあがった。語気も、先程のムナカタほどではないが強くなる。
「なんだよ、最後まで聞いてけよ」
「いや、オカルトとかそういうのは本気で無理なので」
 本当に今は聞きたくない類の話だったので、敬語混じりで拒絶する永治。脳裏で激しく明滅するのは、自宅に届く歪んだ文字の手紙の存在だ。
 永治の胸の底が、気落ちでずんと重くなる。
「だから説明は結構だ。納品も済んだから撤収させてもらう」
『ああっエイジさん、せめて、せめて最後に握って……!』
 桐の箱から、クギシーが切ない声をあげた。
『こんな慌ただしいお別れやだ! 最後にエイジさんの手のぬくもりを感じたいよ』
「……」
『もう十分でしょう、クギシー。生み出された時に感じた、あの手のぬくもりを覚えておけば。その思い出を胸に、僕たちは儀式とやらを果たしましょう』
『でも、だって……!』
『僕らには、他の釘とは違って、今日の旅という思い出がある。まさにVIP待遇でしたね。これを支えに、これからこの家で頑張っていきましょうよ』
『……うん、ありがとうムナカタ。わたし……釘の本分を、忘れるとこだったよ』
「……」
 釘の声に耳を傾けていた永治を不審に思い、燈界は限界まで細くした眉をひそめた。
「立ち上がったんなら、そのまま帰りゃいいだろ」
 釘の声が聞こえない人間にとって、ひたすら立ち尽くす永治は滑稽に見える。
「それとも引き止めて欲しいってこと?」
「いや、まったくそういうワケじゃない。今度こそ帰ります、お疲れ様でした」
 永治が慇懃無礼になる時は、とことん相手と距離を取りたい時だ。

 しかし、踵を返した永治の首横を和釘がかすめていき、彼の足は止まる。

 客間の襖に、和釘が音を立てて突き刺さった。
『っげえーーー!? この女! エイジに当たったらどうしてくれんだバーカ!』
 投げつけられたのは1号のようだ。
「何を、するんだ」
 襖から1号を引き抜いて、永治は低い声で尋ねる。
「釘は大切に扱え。父の知人と言えど、看過はしないぞ」
「もう納品されたモンだしどう使おうか自由っしょ。耐久テスト、耐久テスト」
 不躾に言う女だったが、やがてクスクスと笑いだした。魔女が生贄を前に笑う様のようで、永治はどこか映画でも眺めているような心持ちで燈界を見つめる。
「アンタ、いい度胸してんだねぇ。気に入ったよ」
「気に入られたくないので帰ります」
「かたくなだな! でもまだ帰ってもらっちゃ困るなぁ。あんたに会いたがってるヤツがいるんだ。大金積んでまで我が家に来てもらったのも、そっちがほんとの理由でさ」
 そういえば、渡された旅費が多かったことを永治は思い出す。スポンサーは彼女だったようだ。
「いや、オカルト系だったら今度こそ帰るからな」
「そんときゃ、あんたが逃げるのが早いか、うちが投げる釘が頭にブッ刺さんのが早いかの勝負だな」
『当たっても平気なように、がんばって回転調整しますからね!』
『刺さることでひとつになるのはやだー!』
 頼もしい言葉をかけるムナカタと、悲壮に叫ぶクギシーの声が客間に響く。

 そんな状況を、一変させる声がひとつ。
「ただいま」
 玄関から聞こえたのは、何の変哲もない子供の言葉。それでも和釘たちは一斉に黙った。燈界すらも真顔になる。永治は一瞬、ゾッとする感覚が背筋を伝った。
 ややあって、パタパタと廊下を駆ける音。襖をあけて飛び込んできたのは、ランドセルを背負った子供。髪は短いが、中性的な容姿を持つ、それでいて奇妙な雰囲気をまとった子であった。
「おかえり富色(ふしょく)、こいつを呼んでやったお姉ちゃんに感謝しな!」
「あッ……」
 富色と呼ばれた子供は、顔を赤くして永治を見上げた。
「この子が? 俺に会いたいと?」
 子供は小さな口をはくはくと動かしたが、言葉は出てこない。
「んふふ、会えて良かったねぇ富色。ほらほら、自己紹介、自己アピールしないと」
「あ、あの、あいづちふしょく、いちねんせいです」
「男の子か?」
「おんなだよ」
「うちの妹だ。歳はかなーり離れてっけどね」
「いやその、小学生に会いたがられる覚えはないんだが。どこかで会ったか?」
「あったよ」
「ああ~イヤイヤ、うちら、雑誌であんたを見たんだよ」
 燈界は笑いながら、座卓の角に重ねた雑誌から一冊を抜きだした。はずみで雑誌の山が崩れるが、彼女はまるで気にしない。

 見せつけられたページは、工房にも貼られていたあの一枚だ。
 取材は叔父がすべて引き受けたので、永治はほとんど関与していない。しかし、釘をつくる様子を写したスナップ写真。橙の火に照らされた永治の横顔は、確かに見栄えのするものだった。
 いつかの姉が鉄を打つ、炉の前の記憶が蘇る。

「富色さ、この写真であんたを超気に入っちゃって。一目惚れってやつ?」
『エイジさんの魅力が分かるなんて、将来有望すぎる!』
『クギシー、恋のライバル登場ですからもっと焦った方がいいですよ』
「両方とも見込みはないから安心しろ」
「は? 両方?」
「なんでもない、俺は何も言っていない」
 釘の言葉にツッコミを入れるせいで、どうも永治は失言しがちな男になってしまう。
「いやいや、無理があんだろ」
「あのっ」
 露骨に不信感をあらわす燈界とは対象的に、富色は期待に満ちた眼で永治を見上げた。
「てがみ、うけとって、くれたんだね」
「手、紙」

 そのキーワードは、永治が聞きたくないものである。
 白い便箋、読めない文字。無記名の、届く理由が分からぬ手紙。

「おへんじなかったから、とうかいにいっぱいおくってもらった……」
「……。」
 藍槌富色が、あの手紙の送り主のようだ。
 子供が書きなぐったような文字だと思っていたが、まさか本当に、子供が書いていたとは。
「あれは、お前のせいか……」
 脱力と安心と。こんな子供の手紙に怯えていたのかと、永治は己を情けなくも思った。
 ただ、胸の奥底で淀んでいた重だるい気持ちは薄れていく、見える光景も色彩を取り戻したような感覚を覚える。
 そして、自分の心が持ち直した証拠として、1号、ムナカタ、クギシーの声が遠くなった。釘とは距離があるので、何を言っているのかはもう聞き取れない。かすかに届くクギシーの声は、涙声のような気がするけれど。

「ああ、ここまで来るのは億劫だったが、犯人が分かっただけでもいい収穫だ」
 気分良くなった永治は薄く微笑んだ。その顔を見て富色はほぅとため息をつき、一方で燈界の声は刺々しいものとなった。
「犯人だってぇ?」
「あの手紙は、嫌がらせの線も疑っていた。読めないほど字が荒れていたから」
 今の永治であれば、叔父のように、心置きなくあの手紙をやぶり捨てられるだろう。
「無記名で手紙を出すのは常識に欠けている。あんたはこの子の姉なんだろう。しっかり監修してくれ」
「そりゃうちはお姉ちゃんやってるけどさぁ、恋文に口出す権利はないし」
「恋文のつもりなら、伝わらなければ意味がないだろう」
「つたわらなくて、いいんだよ」
 ポツリと呟く富色の声は、不穏の色を孕んでいた。
「……今、なんと言った?」
「ことばじゃないから、よんでもわかんない。のろう字だもん」

 のろう、呪う。
 漢字が永治の頭の中で、正しく形成される。

 はにかむ少女を見下ろす永治の胸の奥が、ぐ、と重みを増した。
 もはや嫌悪感を覚えるほどの非日常だ。同時に、じっとりとした声が耳に届く。
『いえにはいれいえにはいれ』
 それは1号のものでも、ムナカタのものでも、クギシーのものでもない。
『とじこめ、おおい、けっかいを、こんにちは、だいじょうぶ、よろしく』
 これらの声は、この家屋に使われている釘のものだろう。
『待っていた、待っていた待っていた、待っていた』
 生ぬるい温度と共にこの屋敷内を巡る、風の唸りのような声。虫が足元から這ってくるような気持ち悪さを覚え、永治の精神の骨という骨が、パキパキと音をたて折れていく。この家を訪れた時から、ずっとこの声は耳に届いていたのだ。ただ、認識しようとしなかっただけで。
『よろしく、よろしくおねがいします、よろし、く、く』
 深みに落ちていくほどに、永治の聴覚は研ぎ澄まされていく。当然だ。謎の手紙に決着が着いたと思えば、その直後に嫌悪感の矢面に立たされているのだから。
 今ほど、馴染みの工房に帰りたいと思ったことはない。早く叔父さんと叔母さんの顔を見て、日常を取り返したい。

「富色ぅ、だめだろぉ、勝手にまじないをかけるなって言われたろ」
「でも、つかったからきてくれた」
「そりゃまじないじゃなくて、うちが呼んだからだって。あ、でも、大人しく従ってくれたのは、富色の手紙の効果かもなぁ」
「……俺が来たのは、仕事だからだ。手紙のことは、誰にも言ってない」
『手紙、オレらには言ったじゃねぇか!』
「1号うるさい」
 思わずツッコミを入れたことで、1号たちの声がまた耳に刺さるようになったことに気がついた。クギシーがびすびすと情けない声で、永治が恋しいポエムを垂れ流している声もあわせて聞こえる……。
「くちがかたい、すてき」
 富色がぼんやりとした眼で、声を漏らした。
『どうやらツボに入ったみたいですねぇ』
『着眼点が渋いガキだよなァ』
 少女は永治の服の袖を、おず、と引っ張って言葉を続ける。
「けっこんしてほしいです」
 告げられた言葉に永治は、さすがに己の耳を疑った。

「けっ、結婚と言ったか?」
 少女は勢いよく、何回も頷く。永治はは己の顔を覆いつくした。
 この手の話題は、まだ姉の事情が尾を引いている永治を不用意に刺激するものだ。
 藍槌富色という子供は、恐怖の手紙に結婚話という、永治を追い詰める事象を軽々と、軽率なくらいに放り投げてくる。
『ずるいっわたしも結婚する!』
 クギシーも富色に負けずに対抗心を見せる。
「ちょっと黙っててくれ」
「おいおい、うちの妹の渾身の告白を無下にすんじゃねぇよ」
 ヘラヘラ笑みを浮かべるゴス姿の女と、真剣な顔の子供。
「聞き間違いじゃないのか……結婚なんて、どうして。冗談でも笑えないぞ」
「いやいや、実際いい話だと思うんだよ」
 常識がねじ曲がった返答だ。日本家屋から聞こえてくる、打ち込まれた釘たちの声は混ざり合って、呪詛のように、あるいは獣の唸り声のように永治の精神を追い詰める。
「富色は、藍槌家で一番すげぇ力を持つ子だからさ。うちってば、姉とはいえ、逆らえねぇんだよなぁ。だから富色が『ほしい』っていったら、なるだけ叶えてあげないといけないんだ」
 その言葉を聞いて、永治は反射的に姉を思い出す。
 永治の家を出ていく時の、カートを引いて去る、凛とした後ろ姿を。
「だから、結婚してやってくんねぇかな?」
「……俺の姉は、もっと強かったぞ」
 永治の言葉に、黒い唇を歪めて自嘲の笑みを浮かべる燈界。永治には、力を持つ下の子のためにすべてを御膳立てする姉が哀れに思えた。
 少年のようにも見える富色は、幼い自分を重ね合わせることもできる。何も不安を覚えることなく家族と共に過ごせた頃を。それでも宗方智世は、自分勝手に家を飛び出していった。それをもって富色を羨ましいと思うかどうかは、別の話である。
「呪具をつくれるヤツが身近にいる方がうちも助かるしさぁ。あと十年待ってくれりゃ、富色だって結婚できるもんな。それまでは旦那候補ってことで、うちで手厚く歓迎してやんよ」
 指輪だらけの指を折り曲げ、燈界は双方のメリットを述べる。
「いや、こんな家はごめんだ。釘が多い。俺は釘を使っていない家がいいんだ」
「なんだよその断り方。ヘタクソか?」
 呆れる燈界とは違い、富色は懇願混じりの眼で永治を見つめている。永治の心と胃が、キリキリと痛みだす。
「俺の持論を述べるぞ。結婚なんてものは、理解者同士じゃないとだめだ。そうじゃなければ失敗する」
「理解、ねぇ。確かにあんた、オカルトがイヤって、ずっと言ってるもんなぁ。いやでも慣れるって、うちの父さんもそんな感じだったって聞いたし」

 いいや、もっと違う所に理由があると、永治だけは理解している。
 永治は薄く呼吸をすると、意を決して言葉を吐いた。
「釘の声が聞こえることはあるか?」

 この現象について、明確に他人に尋ねるのは初めてのことだった。永治の問いはあまりにも唐突だったので、燈界と富色はポカンとした顔を浮かべる。それは姉妹でそっくりの表情だ。
「……ふふっ」
 富色はとうとう、声を漏らして笑う。
「このひと、おもしろいこという」
「あっは、ほら、釘職人だしさ。そっち系の話が好きなんかもなぁ」
 調子を取り戻したふたりを見て、永治は確信した。
 互いに互いの、理解者にはなれないということを。
 霊媒師などという所謂オカルト、「永治にとっての非日常」に生きるふたりの女にとっても、「永治の日常」である釘の声は、まったくの非日常なのだ。

 それとも、やっぱりこれはただのノイローゼなのかもしれない、と思えば永治には納得がいく。家中に響く唸り声は、永治の幻聴なのかもしれない。三本の和釘の声だって、自分が押し込めてきた心の声なのかもしれない。
 ――普段は控えている、あるいはいつか捨ててきた、乱暴さ、話したがり、思慕の情。
 三本の和釘は饒舌だった。それに対し、逐一反論してきた永治の旅は、己と向き合う儀式のようなものだったのかもしれない。

『エイジさー、彼女いねみてぇんだし、悪い話じゃないんじゃねぇの?』
『この家にいてくれるなら、僕ら、永治さんとまた会えますしね』
「犯罪になる」
「だから十年待てってば」
「待てるか!」
「うふ、ういひと」
 ういひと、愛い人。そう言う富色の瞳は、幼い子どもの目というよりは、もっと深いものであった。永治はこのまま自分に気持ちを向けられることを苦しいと感じる。理解者にはなれないと、己の中で結論がでたので。

「……俺は」
 永治は覚悟を決めた。最後までしぶっていた、奥の手を使うことにする。
「……年上派、だから、無理だ」
 永治の宣言に、まずクギシーが「えっ」とショックを受けた。この和釘は、生後一週間がいいところだ。
「えっ、うちかな?」
 燈界が面食らった様子で自分を指さす。
「前向きすぎだろう! というか、年上だったのか!」
「富色があんたの情報を探ってくれたからなぁ。住所氏名誕生日なんでも丸わかり」
「そういうのは世間ではストーカーって言うからな!」
 常識が欠けているという点は、あくまで一般人である永治にはストレスのもとにしかならない。
「この家に入るくらいなら、釘と結婚した方がマシだ」
 ダメ押しの一言に「えっ」声を漏らしたのは、クギシーと、富色と、燈界と……1号と、ムナカタ。
『わわっ両思いだったの? わたし、エイジさんと結婚していいのかな?』
『クギシー、消去法ですよ』
「あんたさぁ、すっごい仕事熱心なんだな。釘職人として完璧な回答だよ……」
『オイオイすごい前向きにとってくれたなこの霊媒師』
「……分かってもらえたなら、幸いだ」
 もはや、その勘違いに乗る方が楽だろう。
「話はこれで終わりだ。結婚はしない、絶対にしない。俺は注文された釘を正しく納品した。一本線がムナカタ、二本線がクギシー、三本線が1号という名前だ。大事にしないと、多分その釘、化けて出るから気をつけろ」
「ええ、あんたさ、消耗品に名前つけるタイプの人かよ。案外ロマンチックなんだな」
 燈界はドン引きしている様子だ。オカルト分野の人間にこうも露骨に引かれるのは、永治にはちょっと納得がいかないがこれ以上言い争いをする必要はない。
「それじゃあ、達者でな」
 この家に正しく納品された、儀式釘三本に向けた言葉だ。
『エイジさん、わたし、さっきのプロポーズを胸に、己の責務を果たすからね!』
『ホウセイとマドカによろしくなァ!』
『僕らは消えてなくなるワケではないので。また会いに来てくださいね』
 今度こそ素直に別れを受け入れる和釘たち。
 そして現代人にしては古風な挨拶に、胸を穿たれたのは富色だけではなかったようだ。
「ま、また来いよな。あんたには、釘のメンテナンスをしてもらわねぇといけねぇし」
 急にしおらしい雰囲気になって、黒いドレスの裾をいじりだす燈界。照れる富色と動作が似ていて、見目はだいぶ異なっていても、姉妹であることを意識させられる。
「あの、てがみっ」
 去る永治の背に向け、富色が声をかけた。
「あいしてますって、かいてたの」
「重いなぁ」
 仕事と事件は、両方おさまった。永治は最後に少女の頭をなで「もうあんな手紙は出すな」と言い残す。富色は、ゆっくりと頷いた。それで十分だった。

 *

 こうして永治は、とある日本家屋を後にした。
 地の底に何かを閉じ込めた、無数の釘が打ち込まれし大いなる建築物。
 彼はもうこの地を訪れない心づもりでいる。

 納品した釘とはそれっきりだと、永治は決めていた。
 かつて姉を巡って言い争いをした釘も、妙な鳴き声が染みついた釘も、それらはすべて例外なく納品され、今ではどこかでなにかに成っているはずだ。
 宗方永治が造る物は、発注者のいる商品にすぎない。職人の手から離れた先の人生、いや釘生に、永治が関わることはない。

「姉さんの立ち回りは、正しかったのかもな」
 家を捨て去った姉のことを考えていると、ポケットの中のスマートフォンが震えた。レンタカーに乗り込みメッセージを確認すると、送信者はまさかの姉本人だ。彼女から連絡が来るのは、何ヶ月ぶりだろうか。

「出てた雑誌みたよ! 実物よりイケメンだったね」
 周回遅れの話題に、永治は思わず笑みをこぼす。
「雑誌のせいでストーカー被害にあった」
 そう返信すれば、大仰なスタンプがいくつも送られてくる。
 続けて「もう解決した」と送信すれば、「そっかぁ」とゆるい文面が戻ってきた。
「職人姿が板についてきたって褒めようと思ったのに」
 字を目でなぞっていると、姉の声が聞こえてくるようだ。
「困りごとあるなら、ちゃんとおじさんとおばさんに相談しないとだめだからね」
 智世は、決して自分を頼れとは言ってこない。弟を突き放しているのか、それとも手を伸ばす資格はないと思っているのか。
 永治は目を閉じて、姉の白い手を思いだす。その爪先には、あの日に忌々しく思ったネイルアートの輝きがある。まるで闇夜で瞬く星のようだ。
「おじさんもおばさんも、えいじ君の力になりたいって思ってるんだから」
 思えば叔母がこの納品旅行を引き受けたのも、永治の気晴らしになると思ったからかもしれない。永治は職場での気落ちした態度を反省する。
 そういえば叔父がスランプに陥った時、夫妻でドライブにいく習慣があることもつられて思い出した。そのことを理解するのは、すべてが片付いた後になるとは。
「……はあ、姉さんにはかなわないな」
 思わず声を漏らす永治。
『お姉さんのこと、慕っているんですね』

 車内から、声。
 永治は仰天し、間抜けな大声をあげる。
 勢いで車の天井にしたたかに頭をぶつけてしまった。
 キャップを外して、髪をかき乱す。
「なんっで、声っど、こ、から?」
『ここです~あなたのお尻の下に!』
「なんだと!」

 手を伸ばせば、座席と座布団の間に一本の和釘。さっき別れた三本とは異なる、馴染みのサイズの巻頭釘だ。
「おまっ、え、いつからだ?」
『いや、そのう、ポケットにいたんですけれど、みんなが楽しそうに話してるので、声をあげられなくて……』
「そうか。慎み深いヤツなんだな……」
 もはや今日の永治は、釘と親しげに言葉を交わすことに抵抗がない。
 和釘を助手席にそっと置いて、永治は車を発信させる。
「ラジオをつけるっていう気分でもないんだ」
 カーナビが示すのはレンタカー営業所までの残り時間、大体二時間。
「どうしてポケットにいたのか、説明してくれ」
 それは帰り道の暇つぶしにはなるだろう。
『やった、いっぱいしゃべります。でもその前に』
 バックミラーで確認する日本家屋は、どんどん遠くなる。耳に届いていた重いざわめきも、波が引くように薄れていく。
『あの、ボクにも名前をつけてくれませんか?』
 和釘の提案に、永治は小さく笑うと。
「つけるもんか」

 もはや永治には、何の不安もない。安息の地たる我が家に向け、早く帰りたい一心だ。改めてアクセルを強く踏みなおすと、永治と和釘を載せた車は、星空またたく夜に飛び込んでいった。


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スピンオフ第一弾は猫ですにゃ。こちらもあわせてお楽しみください!時系列は「釘」→「猫」→「誰」です。

ここまでお楽しみ頂き、本当にありがとうございました。
スピンオフ4コマもありますので、そちらも楽しんで頂ければ幸いです!
ノベルゲームを作るのも楽しそう」ともインタビューで語ったので、もし無事に完成したら遊んでください!
2019/01/25 最堂四期

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NovelJam2018秋で結成されたチームから生まれたインディペンデントパブリッシャーです。NovelJamで発表された作品「みんな釘のせいだ」と「あなたの帰る場所は」のスピンオフや新版、コミカライズ版などをリリースします。